まねいた原因であった。つまり、実質なきものが自然に枢機を握る仕組みであったのだ。
人間の気品が違うという。気品とは何か。たとえば、天皇という人は他の誰よりも偉いと思わせられ、誰にも頭を下げる必要がないと教育されている。又、近衛は、天皇以外に頭を下げる必要はないと教育されている。華族の子弟は、華族ならざる者には頭を下げる必要がないと教育されている。
一般人は上役、長上にとっちめられ、電車にのれば、キップの売子、改札、車掌にそれぞれトッチメラレ、生きるとはトッチメラレルコト也というようにして育つから、対人態度は卑屈であったり不自由であったり、そうかと思うと不当に威張りかえったり、みじめである。名門の子弟は対人態度に関する限り、自然に、ノンビリ、オーヨーであるから、そこで気品が違う。
こんな気品は、何にもならない。対人態度だけのことで、実質とは関係がない。対人態度に気品があって堂々としていても、政治ができるわけじゃない、小説が書けるわけじゃない、相撲が強いわけでもない。それでショーバイができるのは、実際のところ、サギぐらいのものだ。
ところが、日本では、それで、政治が、できたのだ。政
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