使わせたり、たゞもうムヤミに、実質のないところに架空な威厳をあみだして、天皇を人間と違わせようと汲々たるものだ。
その結果は実はアベコベとなるものなのである。朕という言葉があるから、朕はタラフクたべている、いらざる不敬問題が起きる。私が少年時代、朕という言葉は、子供たちの遊び言葉で、おかげで我々は少年時代に、余分に笑うことができた。天皇服などゝいうものがある限り、又メーデーに天皇服の人形がとびだして、我々を余分に笑わせてくれるであろう。
実質なきところに架空の威厳をつくろうとすると、それはたゞ、架空の威厳によって愚弄され諷刺され、復讐をうけるばかりである。
私は日本最古の名門たる天皇が、我々と同じ混乱の客車で旅行せよとは言わぬ。たとえ我々の旅行がどのように苦難なものであるとはいえ、天皇の旅行のため、特別の一車を仕立てることに立腹するほど、我利我利でありたいとは思わない。
然し、特別に清掃され、新装せられた都市や農村の指定席を遍歴するなどゝいうことは、これはもう、文化国に於ては、ゴーゴリの検察官の諷刺の題材でしかないのである。これに類するバカらしさは、中国に於ても「官場現形記」という小説によって、カンプなく諷刺せられておる。
このような指定席を遍歴し、キョーク感激の代表選手にとりかこまれて、天皇陛下は御満足であるのか。
国民たちの沿道の歓呼というようなものを、それを日本の永遠なる国民的心情などゝお考えなら、まことに滑稽千万である。
一種の英雄崇拝であるが、英雄とは、天皇や軍人や政治家には限らない。映画俳優もオリムピック選手も英雄であり、二十歳の水泳選手は、たった一夜で英雄となり、その場に於ては、天皇への歓呼以上に亢奮感動をうけ、天皇と同じように、感動の涙を以てカッサイせられる。
これを人気という。人気とは流行である。時代的な嗜好で、つまり、天皇は人気があるのだ。特に、地方に於て人気がある。田中絹代嬢と同じ人気であり、それだけのことにすぎない。
ところが、田中絹代嬢の人気は、彼女自身が自らの才能によって獲得したものであるのに、天皇の人気は、そうではない。たゞ単に時代自身の過失が生んだ人気であって、日本は負けた、日本はなくなった、自分もなくなった、今までのものを失った、その口惜しさのヤケクソの反動みたいなもので、オレは失っていないぞと云って、天皇をカンバ
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