策よりもそういう態度の方が政治であり、政党の党主の資格であり、総理大臣的であった。総理大臣が六尺もあってデップリ堂々としていると、六尺の中に政治がギッシリつまっているように考える。六尺のデップリだけでも、そうであるから、公爵などゝなると、もっと深遠幽玄になる。
 ヨーロッパでも、サロンなどゝいう有閑婦人の客間では、やっぱり、こういう態度が物を言う。昔はヨーロッパでも同じことで、サロンが政治につながっていたころは、日本と同じようなものでもあったが、だいたい、こういう態度、育ちの気品というようなものが、女の魅力をひく、それぐらいなら、何も文句はない。天下の美女がみんな惚れても、我々がヤキモチをやくのはアサハカで、惚れるものは仕方がない。
 然し、一国の運命をつかさどる政治というものが、サロンの御婦人の御気分なみでは、こまるのである。
 自分の恋する人を、天下特別の人、自分の子供は特別の子供、なんでも、人間の群をぬいて神格視したがるのが、これが、そもそも御婦人の流儀で、アナタ負けちゃアいけないよ、しっかりしてちょうだい、日本一になるんですよ、などゝ、たゞもう亭主をたきつけ、自分は又亭主を日本一にしようと思ってワイロを持って廻ったり、だいたい日本の政治官僚の在り方は、これ又、婦人の流儀であったようだ。
 日本は男尊女卑だなどゝいうけれども、そうじゃない。金殿玉楼では亭主関白の膳部のかたわらに女房が給仕に侍し、裏長屋ではガラッ八の野郎が女房お梅をふんづける。これが表向きの日本であったが、実は亭主は外へでると自信がないから、せめて女房に威張りかえるほかに仕方がなく、内実は女房の手腕で、ワイロが行きとゞいたり、女房の親父の力でもかりないとラチがあかない有様で、男は女に対して威張っているが、男に実質的なものがなくて、女の流儀に依存しているのが実状であった。
 これに比べると、女尊男卑的な表てむきの方がよっぽど実質的で、男は実力があるから、女を保護し、いたわる。この方が、よっぽど、男性的であり、男性がその自主的自覚によって構成した風習なのである。
 ところが、日本式の御婦人流儀のやり方であると、実質はどうでもいい、なんでもかでも、亭主を偉くし、偉く見せねばならぬ。
 この流儀の奥儀をきわめた張本人が宮内省というところで、天皇服をこしらえたり、朕という第一人称を喋らせたり、特別な敬語を
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