しにやつてゐるものだといふ。つまり叩きつけた部分が音楽だとこれがモツアルトになりショパンになる。そこで先生私を天才なみに祝福した。
ところが世の中はよくできてゐる。この詩人が四ヶ月ほど前自動車にひかれた。なんでも夢のやうに歩いてゐて、しまつたと思ひながら自動車の曲る方へ自分も曲つてしまつたのを覚えてゐるといふが、私のやうに運動神経が発達してゐないから、やられ方が至つて地味でそのうへむごたらしい。いきなりつんのめつて前頭部を強打した。前額は頭蓋骨でも一番頑強な部分だから砕けなかつたが、これが左右とか後頭部なら完全に即死だつた。そのうへ手と足を轢かれて全治一ヶ月の重傷とある。ところが話はこれからさきが洵《まこと》に愉快である。
先生病院のベッドの上で気がついたときの様子はといふと、顔が二倍ぐらゐに腫れあがつてゐて、人相は四谷お岩をむくましたやうだつた。斯様な状態に於て先生おもむろに意識恢復し、全般の記憶を綜合してどうやら自動車に轢き倒され文句なしに顔を強打したといふ穏かならぬ自らの境遇に気付いたとき、暗澹たる寂寥に胸を痛ましたであらうことは疑ひのないところであるが、流石忽然として暗夜に一道の光明を見出すが如く例の天才――乳母車をひつくり返した幸運なてあひのことを思ひださずにゐなかつた。傷の痛みのなかではあるが先生とみに勇気づいた。やがて顔の腫れもとれ、どうやら口がきけるやうになつた最初の朝、医者に向つて先生が叫んだこの劃時代的な第一声といふものは、勿論思ひつめたその一つのことである。
「いや、別に(と少しびつくりした医者が答へた)頭は良くもならないでせうが、併し悪くなることもないでせう」
★
敵ながら天晴と言ひたい穏当な名答。ところが先生みる/\悄気かへつた。とうてい我々に理解のつきかねる深刻さをもつて断頭台の人の如く顔色を改めたさうである。
「そのときのなさけない悲しさといつたら、君々々」
と、私に当時を物語りながら追憶を新らたにした先生の有様は、そのときでさへ声涙ともにくだる底の身も世もあらぬものだつた。
「病気を治すものは薬よりも気持です」と爾来意気全く消沈した先生に向つて医者は熱心にさとした。
「とかく日本人は病室の壁ばかり睨んで、めいつた気持を深めてしまふやうです。西洋人は気がめいると、ちよつと立ち上つて窓から外を眺めてきます。
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