などとボヤきながら、何本となく平げている、何か僕達に話しかけたいという風でいて、それが甚だ怖しくもあるという様子である。そのうちに酩酊に及んで、話しかけてきたのであったが、旦那方は東京から御出張どすか、と言う。いかにも、そうだ、と答えると、感に堪えて、五六ぺんぐらい御辞儀をしながら唸《うな》っている。話すうちに分ったのだが、僕達を特に密令を帯びて出張した刑事だと思ったのである。隠岐は筒袖の外套《がいとう》に鳥打帽子、商家の放蕩《ほうとう》若旦那といういでたちであるし、僕はドテラの着流しにステッキをふりまわし、雪が降るのに外套も着ていない。異様な二人づれが禁制の地域から鉄条網を乗り越えて悠々現れるのを見たものだから、怖い物見たさで、跡をつけて来たのであった。こう言われてみると、成程、見張の人まで、僕達に遠慮していた。僕達は一時間ぐらい廃墟をうろついていたが、見張の人は番所の前を掃《は》いたりしながら、僕達がそっちを向くと、慌てて振向いて、見ないふりをしていたのである。僕達は刑事になりすまして、大本教の潜伏信者の様子などを訊ねてみたが、馬方は泥酔しながらも俄《にわか》に顔色蒼然となり、忽ち言葉も吃《ども》りはじめて、多少は知らないこともないけれども悪事を働いた覚えのない自分だから、それを訊くのだけは何分にも勘弁していただきたい、と、取調室にいるように三拝九拝していた。

 宇治の黄檗山《おうばくさん》万福寺は隠元《いんげん》の創建にかかる寺だが、隠元によれば、寺院建築の要諦は荘厳ということで、信者の俗心を高めるところの形式をととのえていなければならぬと言っていたそうである。又、人は飲食を共にすることによって交りが深くなるものだから、食事が大切であるとも言ったそうだ。成程、万福寺の斎堂《さいどう》(食堂)は堂々たるものであり、その普茶《ふちゃ》料理は天下に名高いものである。尤も、食事と交際を結びつけて大切にするのは支那一般の風習だそうで、隠元に限られた思想ではないかも知れぬ。
 建築の工学的なことに就ては、全然僕は知らないけれども、すくなくとも、寺院建築の特質は、先ず、第一に、寺院は住宅ではないという事である。ここには、世俗の生活を暗示するものがないばかりか、つとめてその反対の生活、非世俗的な思想を表現することに注意が集中されている。それゆえ、又、世俗生活をそのまま宗教と
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