四)[#「(四)」は縦中横] 竹取物語の富士

 然しながら、日本の山は恐怖の対象としてのみ在つたわけではないのである。
 転じて山霊といふやうな観念を生み、やがて神格を与へられて、崇敬の対象となることも多かつた。
 霊峰の王座は遠い昔から東海の孤峰、今も変らぬ富士山であつた。
 これは直接山を題材とした物語ではないのだけれども、日本の最も古い物語のひとつ、さうして最も美しい物語のひとつであるところの「竹取物語」が、その清純にして華麗な物語の巻尾を、秀峰富士に登つて結んでゐるのであつた。

 即ち、時のみかどが、かぐや姫に懸想したまひ、屡々文をおつかはしになるのだけれども、かぐや姫には悲しい理由があつて、みかどの御意に従ふことができないのだつた。さうして返事も差上ないやうになつたので、みかどの御悲嘆は深まり、又御愛着は増すばかりであつたが、時が来て、かぐや姫は、はじめて、みかどの御意に従ふことのできない理由を打開け申上げたのであつた。
 かぐや姫はこの世の人ではなく月の世界の人であつた。犯した罪のために、その消える日まで地上に落されてゐたのであつた。
 許されて月の世界に帰ることのできる身となり、満月の夜、迎への者がくることになつてゐた。その由をかぐや姫は手紙にしたため縁のない者と思つて下さるやうにと言つて、みかどがおつかはしになつた多くの御文に形見の品々をそへて御返し申上げた。
 みかどはかぐや姫を月の世界へ帰さぬために近衛の兵をおつかはしになり、竹取の翁の家の庭といはず屋根といはず隙間なく兵によつてかためてゐたが、満月がかゝり玲瓏たる楽の音が中空に起ると兵士達の五体はしびれ、羽衣をまとふた迎への天女に侍《かしず》かれて、姫は昇天してしまつた。
 みかどは御悲嘆にくれたまひ、御取交しになつた多くの文と形見の品々を、東海の秀峯のいただきで焼棄てたまふたのであつた。その煙が今に絶えないといふ。それで不死の山と名付けるといふ結びなのだ。
 察するに、富士山は当時なほ煙を吐いてゐたのであつた。

 適《たまたま》「北越雪譜」を読んでゐたら、著者鈴木|牧之《ぼくし》が苗場山へ登つた記事がでてゐた。山頂に天然の苗田らしいものがあるといふので、その奇観を見るために同好の士と登つたのである。
 登るに先立つて、神職の祓を受け、案内者は白衣に幣を捧げて先頭に進んだことが書いてある。
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