あり、転じて崇敬の対象であつた。
 さうして多くの伝説を生み、又主としてこの点で、文学とも結びついてゐるのである。
 山の伝説の主要なものは、空想的なものでは狐狸妖怪、現実的なものでは、鬼山賊のたぐひであるが、馬琴のやうな近世の碩学でも狐狸妖怪の伝説を真面目に書いてゐるのであつた。
「みな土俗の口碑に遺す昔物語にして、今は彼老狸を見たるものなしといへば、あるべきことならねど、童子の為に記すのみ、しかるやいなや、はしらず」
 こんな風な断りがきはしてゐるが、伝説の紹介ぶりは、証人の名をあげたり、御丁寧に地図まで載せて、決して「童子の為に」しるしてゐるやうな様子ではないのである。
 馬琴が地図入りで紹介してゐる伝説のひとつに佐渡二ツ岩の弾三郎といふ狸がある。前記の断り書きも、この狸のくだりに有るものである。

   (二)[#「(二)」は縦中横] 出狐狸の役割

 佐渡ヶ島二ツ山の狸弾三郎の伝説は、馬琴の「燕石雑誌」に載つてゐる。
 また「諸国里人談」にも現れ「利根川図志」などにも引合ひに出されてゐる。
 この狸はひとつの人格を持ち、職業を持ち里人と密接な交渉を残してゐるので、異色あるものなのである。
 弾三郎は金持であつた。馬琴の地図によると、五十里山と黒光寺山にはさまれた山中二ツ岩(また二ツ山)といふところに穴を構へてゐたさうであるが、人里(羽田村とある)から二里余り、さう大して深山ではない。実地に調べたことがないので、上記の地名や伝説が今日も尚残つてゐるか僕は知らない。

 村人達は弾三郎から屡々《しばしば》金を借りた。借用の金額と返済の日限を書いた証文を穴の口へ置いてくる。翌日改めて出掛けると、穴の口には、証文の代りに金が置いてある習ひであつた。そのうち次第に返済しない人々が多くなつたので、弾三郎も金を貸さなくなつてしまつた。
 それでも物品だけは貸してくれた。里人に婚礼などがあつて、客用の膳椀などが不足な時に、弾三郎へかけつける。入用の品目と返済の日をしたゝめた証文を穴の口へ置いてくると、翌日は同じ場所に間違ひなく入用の品々が取揃へてある習慣だつた。
 ところが、これも返済しない人達が次第に多くなつたので、弾三郎はたうとう人間を信用しなくなり、物を貸さなくなつて、自然交渉が絶えてしまつたのであつた。
 その後も、然し、急病人があつて医師を迎へに来たものがあり、
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