然そうでないところに、皆さんが面白がって、ひき立てゝ下さるコツがあるんです。はじめは、ほんのイタズラで、まア、仮装舞踊会みたいなもんで、それがマアうけたというわけですか。あんまり、うけやしませんが、何がさて私は、愚連隊になるだけの度胸はなく、そのくせ、愚連隊のハシクレに交らなくちゃア、私なんかの生きて行かれる御時世じゃアないじゃありませんか。こうして女装してりゃ、誰も喧嘩をうりやしませんし、仲間の仁義で血の雨をくゞる必要もありませんや。その代り、チップをはずむお客もいませんが、この風態で無難に身をひそめて、まア、ヤミ屋の片棒をかついでいるというわけです。先日はどうも、麻薬で失敗いたしましたが、あれなんかも、私自身は、これっぱかしも用いたことがございません。ひどく健全なるもんでして、女房子供をなんとか養って、エッヘッヘ実は、女房も、私のこの女装については、知っちゃいませんのです」
彼の細君は、却々《なかなか》の美人なのである。然し、それだけ、威張りかえって、非常に冷い女であった。
私が彼と知り合った戦時中、彼は細君の実家が農家であるところから、そのおかげで人の羨む食生活をしており、完全に女房に頭の上らぬ状態でもあったのである。そのことが焦りとなって、一カク千金、彼のような小心なケレンのない好人物が賭場へ入りびたるようになったらしい。教養のない女が生活の主権を握ると、まことにつけあがって、鼻持ちならぬ暴君となるもので、彼が尻の下にしかれた生活ぶりは、私には見るに忍びがたいものがあった。女房という暴君がなければ、彼は昔も今も実直なセンバン工であり、賭場へ入りびたったり、女装してヤミ屋の片棒をかつぐ必要もなかったであろう。彼は国民酒場へ行列したが、小さなジョッキ二つのめば充分に酩酊し、余分の券はみんな私にユーズーしたほど、酒についても無難な人物であった。
彼は男装に変って現われてきた。
「今宵は、ひとつ、ぜひ御案内致したいところがありますんで、エッヘッヘ。いぶせき所ですが、私がお伴致しております限り、先生にインネンを吹っかける奴もありません。その点は御安心を願いまして、人生の下の下なるところを、御見学願います」
「麻薬宿じゃないの。そんなの見ても仕方がないよ」
「どう致しまして。国法にふれる場所じゃアありませんや。エッヘッヘ。先生もいやに麻薬恐怖症ですな。ちょッと、お待ちなすって」
彼は一人の女給と片隅で何か打ち合せていたが、まもなく一人戻ってきて、私を外へつれだした。
彼の店で強い酒をのんだせいで、私も大いに酔っていたが、見知らぬ土地の見知らぬ道を曲りくねって、案内された所は、新築したばかりの、ちょッと小粋な家であった。私は待合だろうと思ったが、そうではない。たゞの旅館なのである。そのあたりは、たしかに待合地帯ではなく、旅館のあるべきような地帯でもなかった。そのくせ部屋は待合の造りのようでもあり、立派な浴室があった。ほかに、客はいなかった。
「ここは君の内職にやってる店と違うのかい」
「どう致しまして。私なんかゞ、何百年稼いだって、こんな店がもてるものですか。ここは、マア、なんと申しますか、ここの主人も先のことは、目下見当がつかないのでしょう。今に料飲再開になる、その折は、という考えもあるでしょうし、何か考えているんでしょうが、今のところは、たゞの旅館、それも、パンパン宿ではないのです。だから、客もありませず、三四、知ってる者が利用する以外は、閑静なもんです」
私たちが酒をのんでいるところへ、彼が先程店の片隅で打ち合せをしていた女給がはいってきた。不美人ではないが、美人というほどの女でもない。たゞ背丈がスラリとして、五尺四寸ぐらいはあろうと思われ、ムッツリした、冷めたそうな女であった。
彼は女に酒をすゝめた。女はグイ/\呷ったが、却々酔った風がなかった。ヨッちゃん、ヨシ子という女であった。
「実は、先生に前もって話しておきゃアよかったのですが、目の前で、ザックバラン、隠し立てなく話した方が一興だろうと思いましてね」
彼自身は人に酒をつぐばかりで、殆ど飲まなかったが、すでに酔って、目がすわっていた。
「この人は私と同じ田舎の生れなんですが、父親が小学校の校長でしてね、女学校をでると、絵の勉強をしていたのです。そのうち、これが偶然でして、この人の東京の下宿の隣家が刺青の名人だったのです。今と違って、そのころは戦争中のことで、刺青なんてものを、人がざらにやるものじゃアない。めったにお客もなかったのですが、この人が奇妙な人で、紙に絵を描くだけじゃアつまらない、自分の身体にやってみたい、いっそ刺青をやってみたい、自分の手で自分の身体にやってみたいと考えたのです。そこで隣家の刺青の名人に弟子入りして、とうとう、自分で自分の身体にやったのですが、やってみると、その出来栄えがつまらない。そりゃ、そうでしょう。ろくすっぽ稽古もやらずにやった仕事ですから、出来栄えがいゝ筈もないじゃありませんか。あげくに、どうしたと思います。刺青の部分を自分で皮をはいだんです。幸いモモのいくらでもない部分でしたから、ちょいと昏倒したぐらいで、済んだんですがね。まア、そういった人ですから、並の人とは気性も違います。つまり、女ながらも、骨の髄から芸術家の根性で、それについちゃア、鬼のような執念があるわけです」
女は眉一つ動かさなかった。話は思いがけなく異様なものであるが、話の内容を本質的に納得させるような凄味がない。それは女の人柄のせいだ。本質的に、かゝる鬼の執念を持つ芸術家の凄味というものが感じられない。ジッと押し黙って、眉一つ動かさぬけれども、いかにもそれが薄っぺらで、今にも、チェッと舌打ちでもして、それが本性の全部のように感じられる女である。
「そんなわけで、気性が気性ですから、まア性格も陰性で、それに潔癖なんです。選り好みをしますから、お客もつかず、そうかと云って、パンパンをやるような人柄じゃアない。パンパン時代に、こんな気性じゃ、着物一枚つくるどころか、食べて生きて行くことだって難儀でさアね。ところが、この人が、ふだんから、先生のファンなんです。それでまア、これを機会に、先生にお近づきを願って、文学の方で身を立てたいという考えもあるのですから、御指導を願えたら、と、オセッカイのようですが、本人が黙り屋のヒネクレ屋ときていますから、私から、こうしてお願い申上げる次第なんです」
彼の言葉には、マゴコロがこもっていた。単に紹介の労をとるというだけの性質のものではなかった。私の頭にひらめいたのは、彼と彼女との交情、二人は相愛の仲ではないかということだった。
ウカツに返事はできない。文学の指導、といったって、先方の才能の見当がつかなければ、どうなるものでもなし、第一、文学の指導という結論に達するまでの話の筋が、いわば芸術的因果物というような血なまぐさい奇妙なもので、穏やかならぬものである。
この又あとに結論があって、私の妾にしろとでもいうのであろうか。不美人という程ではなし、スラリとのびた姿態にはちょっと魅力があり、押し黙り、ひねくれて、いかにも陰性な感じであっても、一晩なら遊んでもいいぐらいの助平根性はあった。酔っていたから、助平根性は容赦なく掻き立てられても、穏やかならぬ話にこもる凄味はさすがに胸にこたえた。
「文学の指導たって、芸ごとは身に具わる才能がなければ、いくら努力してみたって、ダメなものですよ。それを見た上でなくちゃア返事のできるものじゃアないね」
「然し、先生、こんなことは、ありませんか。かりにです、かりにですよ。いえ、かりじゃアないかも知れません。天才てえものが気違いだとします。天才てえものは気違いだから、ほかの人の見ることのできないものを見ているでしょう。それがあったら、これはもう、ゆるぎのない天分じゃありませんか」
私はお人好しで温和なこの男が、こんなに開き直って突っかゝるのを経験したことはなかった。私は内々苦笑した。私自身、精神病院から出てきたばかりだからであった。
「天才だの気違いだのと云ったって、君、僕自身、精神病院で、気違いの生態を見てきたばかりだが、気違いは平凡なものですよ。非常に常識的なものです。むしろ一般の人々よりも常識にとみ、身を慎む、というのが気違い本来の性格かも知れないね。天才も、そうです。見た目に風変りだって、気違いでも天才でもありゃしない。よしんば、ある種の天分があっても、絵の天分と、文学の天分はおのずから違う。絵の天分ある人は、元来色によって物を見ているものだし、文学の天分ある人は、文字の構成によってしか物を把握しないように生れついているもんです。だから、性格が異常だというだけじゃア、文学者の才能があるとは云われないものです」
「然し、先生、今に分ります。分りますとも。先生とヨッちゃんは、たとえば、日月です。男が太陽なら、女はお月様、そういう結び合せの御二方です」
決然とそう云い放ち、やがて、うなだれた。
お風呂の支度ができましたから、という知らせで、私が一風呂あびてくると、寝床の敷いてある部屋へ通された。やがて女が一風呂あびて現われた。その時はもう王子君五郎氏は、この家を立ち去っていたのである。
私は、然し、女が私の横へねても、監視されているようで、ちょッと気持がすくんでいた。
「王子君は、日月と云ったね。日月とは不思議なことを云うものだ。あの人は、そんなことを、時々言うかね」
と、私は女にきいた。その時である。まるで、思いがけなく、ゼンマイのネジが狂ったように女が笑いだした。決して音のきこえる筈のない冷静な懐中時計が、突如として、目覚し時計となって、鳴り狂いはじめたようなものである。
「あんな男のいうことマジメにきいて、何、ねぼけてんの。気違いって、あの人が気違いじゃないの。女装したりしてさ。変態なら分るわよ。変態でもなんでもないくせに女装するなんて、頭のネジが左まきのシルシにきまってるわ。私が自分のモモにホリモノをしただの、そのホリモノをえぐりとったのと、あの人が知っているわけがないでしょう。みんなあの人の妄想よ。ほら、見てごらんなさい。私のモモに、ホリモノだの、えぐりとった傷跡だのがあって」
女は私にモモを見せた。まったく、何もなかったのである。そしてモモを見せる女の態度というものは、完全なパンパンの変哲もない態度であり、おかげで私は俄に安心したほどであった。
「君は、じゃア、絵描きの卵でもないのかね」
「まア、それぐらいのことは、私だって、なんとか、かんとか、それも商売よ。でも油絵の二三枚かいたこともあったわよ。あんまり根もないことを云ったんじゃア、この社会じゃア、自分が虚栄だから、人の虚栄を見破るのも敏感なものよ」
話しだすと、先刻までの押し黙った陰鬱さは薄れて、女は案外延び延びと気楽であった。
然し、私には、どうも解《げ》せなかった。病院へ麻薬を持って見舞に来た時から、どこにも気違いらしい変ったところはなかった。元々気違いはそうである。私は精神病院で、それを胆に銘じてきた。発作が起きた時でなければ、見分けのつくものではないのである。いわば、あらゆる人間に犯罪者の素質があるように、あらゆる人々に狂人の素質があると考えてもよい。狂人は限度の問題だという見方もありうるほどである。
私は精神病院をでゝ以来、それまでの不眠症にひきかえて、ひどく眠るようになった。尤も、東大から催眠薬を貰っており、これは暁方になってきいてくる性質の催眠薬であった。朝食をとって、又、ひと眠りするのが習慣になっていた。
私は翌朝目がさめると、朝食の後、女を帰して、私だけ、もう一眠り、ねむった。ぐっすり眠った。その前日まで、仕事して、過労があったせいもあった。
目がさめると、もう午《ひる》すぎだ。私は宿の人に頼んでおいたので、風呂がわいていた。風呂からあがって、酒をのんだ。この旅館は、まだ女中がおらず、主人夫婦だけ、子供もいないのである。
「どうも、王子君には、驚いた」
私は宿の主婦
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