方では、お茶の子なんでございます。みんなレンラクがありまして、ワケのないことでござんすよ。鉄格子から注射器と薬を差入れてやりゃ、なんのこともありませんや。愚連隊の中毒患者は、病院の中でいかにも神妙に、みんな用いておりますんで。エッヘッヘ。文明でござんす」
「へえ。文明なもんだねえ」
 と、私もまったく感服した。そして彼の厚意に、まことに極みなく清らかなものを感じて、ホロリとするほど心を打たれたが、それだけに、デマにすぎない実情を事をわけて説明するのに、甚しく心苦しい思いであった。
 私の訥々《とつとつ》たる説明をきき終ると、彼は非常に情けなそうな顔になった。私は彼を慰めるのに骨を折ったほどである。
「御退院もお近いようで、御元気な御様子を拝見致しまして」
 と、彼は急に、改って、よそ行きのような別なお愛想を言いだした。
「あんまり、つめてお考え遊ばしますからでございましょうが、又、先生が、華々しくお活躍あそばす日も近いだろうと思いますと、私のような者でも、心うれしく、甚だ光栄でございます。御退院の節は、ぜひお立ち寄り下さいまして」
 と、住所をコクメイな図面入りに書いて帰った。そこはさる盛り場の碁会所で、自分の家ではないけれども、昼間は、必ずそこにいるからと云った。
 退院してまもない夕方であった。彼の住む盛り場の近所へ所用があって出向いたが、そこは私の始めての土地で、おまけにその日は一人であり、知っている土地へ戻って一杯やるのもオックウであり、さりとて飲むべき店も見当がつかない。私は王子君五郎氏を思いだした。彼の厚意に報いるにもよい機会だから、誘いだして、このへんで一杯のもうと思ったのである。
 碁会所はすぐ分った。
「王子君五郎さんはいますか」
 ときくと、二人の娘がしばらく額をよせ集めてヒソヒソ話していたが、
「あゝそう、君ちゃんのことよ」
 と、一人が大声で叫んだ。
「なんだ。君ちゃんか」
 二人の娘は笑った。
「君ちゃんは、もう、いません、お風呂へ行った筈ですから、今日はもう来ませんわ」
「どこかへ行けば、会える場所があるんですか」
「それは、お店よ」
「お店?」
「御存知ないんですか。カフェー・ゴンドラと云いましてね、そこの露路の中程にあります。もう、出たころでしょう。でも、まだかも知れないわ」
 私は礼をのべて、その露路へ行った。そこは軒なみにカフェー
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