な組み立てには、退屈という大敵があって、美の魅力の持続の時間に限定があり、せいぜい二巻ぐらいのものだと考えていたのである。
 あるときU氏に会うと、U氏は旅行から帰ったところで、旅行中読んだ室生犀星の「巴」という小説が短篇芸術映画の筋になるような気がしたが、と言う。義仲勢が敗北して義仲も巴もバラ/\になり義仲は討死してしまう。巴がたった一人落のびてきて野道で会った百姓娘に無心して一夜の宿を泊めて貰う。風呂がわく。巴が風呂へはいる。巴が一枚々々着物をぬいでゆく。最愛の人の討死を見とゞけてきたばかりの、そして一切の夢の終った強いそして美しい一人の女の落武者が、一枚々々着物をぬいで行く。そこのところで、U氏は話を止めて、私の目を見つめた。
 U氏はこういう人である。巴が一枚々々着物をぬいで行く。映画の本質にむすびついた美に就て、映画の上でしか在り得ない美に就て、U氏は正しい感受性を持っていたのである。外の映画会社の社長にこれだけの識見は多分なさそうで、菊池寛社長の企業的才能よりも、U氏のこのつゝましい識見の方が、日本のためには必要なのだと私は思う。
 ところが、あいにくなことにこのU氏には実
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