らかに叫ぶ。天下分け目の合戦できたり、急ぎ出陣用意。身をひるがへして帰城する、即刻諸老臣の総出仕を命じたが、如水まさに二十の血気、胸はふくらみ、情火はめぐり、落付きもなければ辛抱もない。
 並居る老臣に封書を披露し、説き起し説き去る天下の形勢、説き終つて大声一番、者共、いざ出陣の用意、と怒鳴つたといふ、血気横溢、呆気にとられたのは老臣どもで、皆々黙して一語を答へる者もない。やゝあつて井上九郎衛門がすゝみでゝ、君侯のお言葉は壮快ですが、さきに領内の精鋭は長政公に附し挙げて遠く東国に出陣せられてをります。中津に残る小勢では籠城が勢一杯で、と言ふと、如水はカラカラと笑つて、貴様も久しく俺に仕へながら俺の力がまだ分らぬか。上方の風雲をよそに連日の茶の湯、囲碁、連歌の会、俺は毎日遊んでゐたがさ、この日この時の策はかねて上方を立つ日から胸に刻んである。家康と三成が百日戦ふ間に、九州は一なめ、中国を平げて播磨でとまる。播磨は俺のふるさとで、こゝまでは俺の領分さ、と吹きまくる大|法螺《ぼら》、蓋し如水三十年間抑へに抑へた胸のうち、その播磨で、切りしたがへた九州中国の総兵力を指揮して家康と天下分け目の決戦、そこまで言ひたい如水であるが、言ひきる勇気がさすがにない。彼の当にしてゐるのは彼自らの力ではなく、たゞ天下のドサクサで、家康三成の乱闘が百日あればと如水は言つたが、千日あればその時は、といふ儚い一場の夢。然し如水はその悪夢に骨の髄まで憑かれ、あゝ三十年見果てぬ夢、見あきぬ夢、たゞ他愛もなく亢奮してゐる。
 領内へふれて十五六から隠居の者に至るまで、浪人もとより、町人百姓職人この一戦に手柄を立て名を立て家を興さん者は集れ、手柄に応じ恩賞望み次第とあり、如水自ら庭前へでゝ集る者に金銀を与へ、一人一人にニコポンをやる、一同二回三回行列して金銀の二重三重とり、如水はわざと知らないふりをしてゐる。
 九月九日に準備とゝのひ出陣、井上九郎衛門、母里太兵衛が諫めて、家康がまだ江戸を動いた知らせもないのに出陣はいかゞ、上方に両軍開戦の知らせを待つて九州の三成党を平定するのが穏当でござらうと言つたが、なに三成の陰謀は隠れもないこと、早いに限る、とそこは如水さすがに神速、戦争は巧者であつた。
 翌れば十日|豊後《ぶんご》に進入、総勢九千余の小勢ながら如水全能を傾け渾身の情熱又鬼策、十五日には大友義統を生捕り豊後平定。だが、あはれや、その同じ日の九月十五日、関ヶ原に於て、戦争はたゞ一日に片付いてゐた。百日間、如水は叫んだが、心中二百日千日を欲し祈り期してゐた。たゞの一日とは! 如水の落胆。然し、何食はぬ顔。家康の懐刀《ふところがたな》藤堂高虎に書簡を送り、九州の三成党を独力攻め亡してみせるから、攻め亡したぶんは自分の領地にさせてくれ、倅は家康に附し上国に働いてゐるから、倅は倅で別の働き、九州は俺の働きだから恩賞は別々によろしく取りなしをたのむ、といふ文面。
 かくて如水は筑前に攻めこみ、久留米、柳川を降参させる、別勢は日向《ひゅうが》、豊前《ぶぜん》に、更に薩摩に九州一円平定したのが十一月十八日。
 悪夢三十年の余憤、悪夢くづれて尚さめやらず、一生のみれんをこめて藤堂高虎に恩賞のぞみの書面を送らざるを得なかつた如水、日は流れ、立ちかへる五十の分別、彼は元々策と野心然し頭ぬけて分別の男であつた。悪夢つひにくづる。春夢終れりと見た如水、茫々五十年、たゞ一瞬ひるがへる虚しき最後の焔。一生の遺恨をこめた二ヶ月の戦野も夢はめぐる枯野のごとく、今はたゞ冷かに見る如水であつた。
 独力九州の三成党を切りしたがへた如水隠居の意外きはまる大活躍は、人々に驚異と賞讃をまき起してゐた。たゞそれを冷かに眺める人は、家康と、そして本人の如水であつた。家康は長政に厚く恩賞を与へたが、如水には一文の沙汰もない。高虎がいさゝか見かねて、如水の偉功抜群、隠居とは申せなにがしの沙汰があつてはと上申すると、家康クスリと笑つて、なに、あの策師がかへ、九州の働きとな、ふッふッふ、誰のための働きだといふのだへ、と呟いたゞけであつた。
 けれども家康にソツはない。彼は幾夜も考へる。如水に就て、気根よく考へた。使者を遥々《はるばる》つかはして如水を敬々《うやうや》しく大坂に迎へ、膝もと近く引き寄せて九州の働きを逐一きく、あの時は又この時はと家康のきゝ上手、如水も我を忘れて熱演、はてさて、その戦功は前代未聞でござるのと家康は嘆声をもらすのであつた。思へば当今の天下統一万民和楽もひとへにあなたの武略のたまものです。なにがさて遠国のことゝて御礼の沙汰もおくれて申訳もない、さつそく朝廷に申上げて位をすゝめ、又、上方に領地も差上げねばなりますまい。今後は特別天下の政治に御指南をたのみます、と、言ひも言つたり憎らしいほどのお世辞、政治の御指南、朝廷の位、耳には快いが実は無い。如水は敬々しく辞退して、忝《かたじけな》い御諚《ごじょう》ですが、すでに年老ひ又生来の多病でこの先の御役に立たない私です。別してこのたびは愚息に莫大な恩賞をいたゞいてをりますので、私の恩賞などゝはひらに御許しにあづかりたい、とコチコチになつて拝辞する。秀忠がその淡泊に驚いて、あゝ漢の張良とはこの人のことよと嘆声をもらして群臣に訓《おし》へたといふが、それが徳川の如水に与へた奇妙な恩賞であつた。如水は家康めにしてやられたわいとかねて覚悟の上のこと、バクチが外れたときは仕方がないさ、とうそぶいてゐる。応仁以降うちつゞいた天下のどさくさは終つた、俺のでる幕はすんだといふ如水の胸は淡泊にはれてゐた。どさくさはすんだ。どさくさと共にその一生もすんだといふ茶番のやうな儚さを彼は考へてゐなかつた。



底本:「坂口安吾全集 04」筑摩書房
   1998(平成10)年5月22日初版第1刷発行
底本の親本:「二流の人」中篇小説新書、九州書房
   1947(昭和22)年1月30日発行
初出:「二流の人」中篇小説新書、九州書房
   1947(昭和22)年1月30日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
2007年1月5日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全12ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング