て布教に当らせ、秀吉と切支丹教徒の中間に立つて斡旋につとめ、自らの切支丹たることをついぞ韜晦《とうかい》したことがなかつた。如水は然らず。彼はパードレに向つて、自分は切支丹であるために太閤の機嫌をそこね、昇進もおくれ禄高も少い、と言つて、暗に切支丹を韜晦する自分の立場を合理化し、一方に禅に帰依して太閤の前をつくろつてゐた。尤も之には両者の立場の相違もある。行長は太閤の寵を得てをり、如水はさらでも睨まれてゐる。切支丹を韜晦せずにはゐられない危険な立場にゐたのであつたが、行長とても、多少の寵は禁教令の前に必ずしも身の安全の保証にはならぬ。高山右近の例によつて之を知りうる。行長は如水に比すれば正直であり、又、ひたむきな情熱児であつた。
駿府の城で行長の報告をきいた秀吉は大満足。その晩は大酒宴を催して、席上大明遠征軍の編成を書きたてゝ打興じ、遠征の金に不自由なら貸してやるから心配致すな、ソレ者共、といふので、三百枚の黄金を広間にまきちらす馬鹿騒ぎ。
京都へ帰着。日本国関白殿下の大貫禄をもつて天晴れ朝鮮使節を聚楽第《じゅらくだい》に引見する。
秀吉は紗《しゃ》の冠に黒袍束帯、左右にズラリと
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