たのは、この時のことであつた。
ちやうど、このとき、前線では和議が起つてゐた。秀吉を封じて大明国王にするといふ、こんな身勝手な条約に明軍が同意を示す筈は有り得ないのだから、諸将は誰あつて和議成立をまともに相手にしてはをらぬ。如水は特別好戦的な男だから和談派の軟弱才子を憎むや切、和談を嫌ふが故に、好戦的ですらあつた。
朝鮮遠征の計画がすゝめられてゐるとき、石田三成は島左近を淀君のもとに遣して、淀君の力によつてこの外征を思ひとゞまるやう説得方を願はせた。小田原征伐が終り奥州も帰順して、ともかく六十余州平定、応仁以降うちつゞく戦乱にやうやく終止符らしきものが打たれたばかり。万民が秀吉の偉業を謳歌するのは彼によつて安穏和楽を信ずるからで、然る時に、息つくまもなく海外遠征、壮丁《そうてい》は使丁にとられ、糧食は徴発、海辺の村々は船の製造、再び諸国は疲弊して、豊臣の名は万民怨嗟の的となる。明を征服したればとて、日本の諸侯をこゝに移して永住統治せしめることは不可能で、遠征の結果が単に国内の疲弊にとゞまり実質的にはさらに利得の薄いことを三成は憂へたから、淀君の力によつて思ひとゞまらせたいと計つた。
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