なりといへども一王国の主人、信長の同盟国で、同盟国も格が下なら家臣と似たやうなものではあるが、ともかく独自の外交策によつて信長と相結んだ立場であつた。
信長と信玄の中間に介在して武田の西上を食ひとめ信長の天下を招来した縁の下の力持が家康で、専ら田舎廻りの奔走、頼まれゝば姉川へも駈けつけて急を救ふ、越後の米つき百姓の如き精神を一貫、行動した。下剋上は当時の自然で、保身、利得、立身のために同盟を裏切ることは天下公認の合理であつたが、家康の同盟二十年、全く裏切ることがなく、専ら利得の香《かんば》しからぬ奔命に終始して、信長の長大をはかるために犬馬の労を致したのである。土百姓の律義であつた。素町人の貯金精神といふものだ。けれども一身一王国の存亡を賭けてニコ/\貯金に加入する、百姓商人に似て最も然からざるもの、天下に賭けて命をはつた賭博者は多いけれども、ニコ/\貯金に命をはつた家康は独特だつた。
本能寺の変が起つたとき、家康は堺にゐた。武田勝頼退治の戦功で駿河を分けて貰つたから、その御礼挨拶のために穴山梅雪と上洛して、六月二日といふ日には堺に宿泊したのである。平時の旅行であるから近臣数十人を
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