《とてい》に逞しく育つてゐたのだ。
三
小田原包囲百余日、管絃のざわめきの中にも造言の飛び交ふのはどこの戦場も変りがない。話題の主は家康と信雄で、北条と通謀して夜襲をかける、奥州からは伊達政宗が駈けつける手筈になつてゐるなどゝ、流言必ずしも根のないことではない。当の家康の家来共が流言の渦にむせびながら腕を撫《ぶ》し、いつ夜襲の主命下るか、猿めを退治て、あとはこつちの天下だと小狸共の胸算用で憶測最も逞しい。
ところが、家康は温和であつた。之は秀吉の用ひた表現であるが、家康は温和な人だから宜しいが、黒田のカサ頭は油断のできない奴だ、といふことを言つてゐた。
秀吉は山崎合戦で光秀を退治て天下を自分の物としたが、光秀退治が秀吉一人の手によらず織田遺臣聯合軍といふものによつて為されたならば、天下の順は秀吉のところへは廻つてこない。信長には子供もあるし、柴田といふ天下万人の許した重臣もあり、之を覆す大義名分がないからである。秀吉は柴田と丹羽にあやかりたいといふので羽柴といふ姓を名乗つた。然しながら、柴田といへども信長の家臣だ。ところが、家康は家臣ではない。駿遠三の領主で、小
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