せて東西に攻めたてる。朝鮮軍が相手のうちは、これで文句なしに勝つてゐた。之は鉄砲のせゐである。朝鮮軍には鉄砲がない。鉄砲の存在すらも知らなかつた。彼らの主要武器たる弩《ゆみ》は両叉の鉄をつけた矢を用ひ、射勢はかなり猛烈だつたが、射程がない。城壁をグルリと囲んだ日本軍が鉄砲のツルベうち、百雷の音、濛々たる怪煙と異臭の間から見えざる物が飛び来つて味方がバタ/\と倒れて行く。魔法使を相手どつて戦争してゐる有様であるから、魂魄消え去り為す術を失ひ、日本軍が竹の梯子をよぢ登つて足もとへ首をだすのに茫然と見まもつてゐる。之では戦争にならない。京城まで一気に攻めこんでしまつた。
そこへ明の援軍がやつてきた。明は西欧との通交も頻繁で、もとより鉄砲も整備してゐるから朝鮮を相手のやうには行かぬ。
如水は明軍を侮りがたい強敵と見たから、京城を拠点に要所に城を築いて迎へ撃つ要塞戦法を主張、全軍に信頼を得てゐる長老小早川隆景が之に最も同意して、軍議は一決の如く思はれたのに、突然小西行長が立つて、一挙大明進攻を主張し、単独前進を宣言して譲らないから、軍議は滅茶々々になつてしまつた。結局行長は単独前進する、果して明軍は数も多く武器もあるから、大敗北を蒙り、全軍に統一ある軍略を失つてゐる日本軍、一角が崩れるとたあいもなくバタ/\と敗退して、甚大の難戦に落ちこんでしまつた。
如水は立腹、それみたことかとふてくされた。病気を理由に帰国を願ひでる。帰朝して遠征軍の不統一を上申し、各人功を争ひ、自分勝手の戦争にふけつて統一がないのだから、整備した大敵を相手にすると全く勝ちめがない。総大将格の秀家に軍議統一の手腕がないのだから、と言つて、満々たる不平をぶちまけた。もとより秀吉は不平の根幹が奈辺にあるか見抜いてゐる。如水も老いた。若い者に疎略にされて色気満々のチンバ奴がいきり立つこと。秀吉は、まだそのころは聡明な判断を失はなかつた。
遠征軍はともかく立直つて碧蹄館で大勝した。然し、明軍も亦立直つて周到な陣を構へ対峙するに至つて、戦局まつたく停頓し、秀吉はたまりかねて焦慮した。自ら渡韓、三軍の指揮を決意したが、遠征の諸将からは、まだ殿下御出馬の時ではないと言つて頻りにとめてくる。家康、利家、氏郷ら本営の重鎮に相談をかけると、殿下、思ひもよらぬことでござる、と言つて各々太閤を諫めた。
当時日本国内は一応平定したけれども、之は表面だけのこと、謀反、反乱の流言は諸国に溢れてゐる。朝鮮遠征に心から賛成の大名などは一人もをらず、各人所領内に匪賊の横行、経済難、困《こう》じ果てゝゐる。町人百姓に至つては、大明遠征の気宇の壮、さういふものへの同感は極めて僅少で、一身一家の安穏を望む心が主であるから、不平は自ら太閤の天下久しからず、謀反が起つてくつがへる、お寺の鐘が鳴らなくなつたから謀反の起る前兆だなどゝ取沙汰してゐる。
家康が名護屋《なごや》に向つて江戸を立つとき、殿も御渡海遊ばすか、と家臣が問ひかけると、バカ、箱根を誰が守る、不機嫌極る声で怒鳴つた。まことに然り。謀反を起す者、家康如水の徒ならんや。広大なる関八州は家康わづかの手兵を率ゐて移住を完了したばかり、土着の者すべて之北条恩顧の徒ではないか。日本各地おしなべて同じ事情で、領主の武力がわづかに土賊の蜂起を押へてゐるばかり。家康が関東へ移住と共に、施政の第一に為したことが、領内鉄砲の私有厳禁といふことであつた。
真実遠征に賛成の大名などは一人もをらぬ。伊達政宗は相も変らず領土慾、それとなく近隣へチョッカイをだして太閤の怒りにふれ謀反の嫌疑を受けた。大いに慌てゝこの釈明を実地の働きで表すために自ら遠征の一役を買つて出て、部将の端くれに連なり、頼まれぬ大汗を流してゐる。かういふ笑止な豪傑もゐたけれども、家康も利家も氏郷も遠征そのことの無理に就て見抜くところがあつたし、国内事情の危なさに就ても太閤の如くに楽天的では有り得ない自分の領地を背負つてゐた。秀吉が名護屋にゐるうちは睨みがきくが、渡韓する、戦果はあがらぬ、火の手が日本の諸方にあがつて自分のお蔵に火がついて手を焼くハメになるのが留守番たち、一文の得にもならぬ。
家康、利家、氏郷、交々《こもごも》秀吉の渡韓を諫める。然し、秀吉は気負つてゐるし、家康らは又、異見の根柢が遠征そのことの無理に発してゐるのであるが、之を率直に表現できぬ距りがあり、ダラ/\と一は激し、一はなだめて、夜は深更に及んだけれども、キリがない。このときであつた。襖を距てた隣室から、破鐘《われがね》のやうな声できこえよがしの独りごとを叫びはじめた奴がある。如水であつた。
「ヤレヤレ。天下の太閤、大納言ともあらう御歴々が、夜更けに御大儀、鼠泣かせの話ぢや。御存知なしとあらば、遠征軍の醜状いさゝかお洩し申さ
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