が無力なほど始末が悪く、不断に陰謀の策源地である。信長の困却ぶりをウンザリするほど見てきた秀吉であるから、小田原陣が終り己れの足場が固定したのを見定めると、信雄の領地を没収して、秋田に配流、温和な狸の動きだす根を絶やしてしまつた。
 当時、中部日本、西日本は全く平定、帰順せぬのは関東の北条と奥州だつた。この奥州で、自ら奥州探題を以て任じ、井戸の中から北国の雪空を見上げて、力み返つてゐたのが伊達政宗といふ田舎豪傑である。この豪傑に片目の無いのは有名であるが、時に二十四才、ザンギリ髪といふ異形な姿を故意に愛用し、西に東に隣り近所の小豪族を攻めたてゝ領地をひろげ、北の片隅でまるで天下に怖るゝ者もない気になつてゐた。
 政宗は田舎者ではあるけれども野心と狡智にかけては黒田如水と好一対、前田利家や徳川家康から小田原陣に参加するやうにといふ秀吉の旨を受けた招請のくるのを口先だけで有耶無耶《うやむや》にして、この時とばかり近隣の豪族を攻め立て領地をひろげるに寧日《ねいじつ》もない。家康が北条と通謀して秀吉を亡すだらうといふ流言をまともに受けて、そのドサクサに一気に京都へ攻めこんで天下を取る算段まで空想、むやみに亢奮して近隣をなぎ倒してゐた。
 ところへ家康から手紙が来た。待ちかねた手紙であるが、甚だ冷静なる文面、思ひもよらぬ手紙である。秀吉への帰順、小田原攻めの加勢をすゝめ、天下の赴く勢といふものを説き、遠からざる北条の滅亡を断じ、北の片隅の孤独な思索には測りきれぬ天下の大が妖怪の如く滲み出てをり、反乱どころの話ではない。百年このかた秀吉の番頭をつとめてゐるかのやうな家康の手紙であつた。政宗の背筋を俄に恐怖が走つた。野心と狡智の凝りかたまつた田舎豪傑、思ひもよらぬ天下の妖気を感得して、果もなく不安に沈み、混乱する。遠からずして北条が滅亡する、二十六万の大軍が余勢をかつて奥州へ攻めこんでは身も蓋もない。目先はくもらぬ男であるから、即刻小田原へ駈けつけて秀吉の機嫌をとりむすばぬと命が危いといふことを一途に思ひ当てゝゐた。
 火急の陣ぶれ、夜に日をつぎ、慌てふためいて箱根に到着、陳弁だら/\加勢を申出る。秀吉は石田三成を差向けて先づ存分に不信をなじらせたが、この三成が全身才智と胆力、冷水の如き観察力、批判力で腸《はらわた》にえぐりこむ言葉の鋭いこと、言訳、陳弁、三拝九拝、蒸気のカマの如き奥州弁で、豆の汗を流した。才能の限度に就て根柢から自信がぐらつき、秀吉の威力の前に身心のすくみ消える思ひである。
 その翌日が謁見の日で、登る石垣山一里の道、屠所にひかれる牛の心で、生きた心持もなく広間にへいつくばつてゐると、ガラリと襖があいて、秀吉が真夏のことゝは言ひながら素肌に陣羽織、前ぶれもなくチョロ/\現れてきた。ヤア、御苦労々々々、よくぞ来てくれたな。遠路大変だつたらう。何はおいても先づ一献ぢや。これよ、仕度を致せといふので、政宗の夢にも知らぬ珍味佳肴、豪華つくせる大宴会、之が野戦の陣地とは夢又夢の不思議である。石垣山の崖上へ政宗をつれだして小田原城包囲の陣形を指し、田舎の小競合《こぜりあい》が身上のお前にはこの大陣立の見当がつくまいな。それ、そこが早川口、伊豆の通路がこゝでふさがれてゐるから、こつちの浜辺を水軍でかためると伊豆からの連絡はもう出来ぬ、小田原の地形、関八州の交通網を指摘して二十六万の陣立を解説してきかせる。如何なる仕置かと思ひつめてきた二十四の田舎豪傑、ザンギリ頭の見栄などは忘れ果てゝたゞ/\茫然、素肌に陣羽織、猿芝居の猿のやうな小男が箱根の山よりも大きく見えてしまふのだつた。この人のためならば水火をいとはず、といふ感動の極に達した。
 とはいへ奥州探題を自任する政宗の威力必ずしも小ならず、彼を待望せる北条の失望落胆如何ばかり。之もひとへに家康の尽力である。
 家康は北条氏勝に使者をさしむけて氏政の陣から離脱させたり、小田原城内へ地下道を掘り之をくゞつて城内へ侵入、モグラ戦術によつて敵城の一角をくづしたり、神謀鬼策の一端を披露に及んで、※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]群の一鶴、忠実無私の番頭ぶり、頼まれもせぬ米をついて大汗を流してゐる。

 早春はじめた包囲陣に真夏がきてもまだ落ちぬ。石田三成、羽柴雄利に命じて降伏を勧告させたが徒労に終つた。十万余の大軍をもち兵糧弾薬に不足を感ぜぬ籠城軍は四囲の情勢に不利を見ても籠城自体にさしたる不安がないのであつた。
 浮田秀家の陣所の前が北条十郎氏房の持口に当つてゐた。そこで秀家に命じ氏房を介して降伏を勧告させる。秀家から氏房の陣へ使者を送つて、長々の防戦御見事、軽少ながら籠城の積鬱を慰めていたゞきたいと云つて、南部酒と鮮鯛《せんたい》を持たせてやつた。氏房からは返礼に江川酒を送つてよこし、
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