争ひ譲るところのなかつた良将であり、当代氏政は単に先代の豊富な遺産を受けついだといふだけだつた。
そこで如水は更にこの答礼と称し、単身小田原城中へ乗りこんだ。肩衣に袴の軽装、身に寸鉄を帯びず、立ち姿は立派であるが、之がビッコをひいて、たつた一人グラリクラリと乗込んで行く。存分用意の名調子、熱演まさに二時間、説き去り説き来る。時機がよかつた。伊達政宗の敵陣参加で城中の意気に動揺のあつたところへ、松田憲秀の裏切発見、随一の重臣、執権の反逆であるから将兵に与へた打撃深刻を極めてゐる。氏政も和睦の心が動いてゐた。
如水は四国中国九州の例をひき、長曾我部、毛利、島津等、和談に応じた者はいづれも家名を存してをる。師匠の信長は刃向ふ者は必ず子々孫々根絶せしめる政策の人であつたが、その後継者秀吉は和戦政策に限つて全くその為すところ逆である。武田勝頼が天目山に自刃のとき、秀吉は中国征伐の陣中でこの報告をきいたが、思はず長大息、あたら良将を殺したものよ、甲斐信濃二ヶ国を与へて北方探題、長く犬馬の労をつくさせるものを、と嘆いた。同じ陣中にゐた如水はまのあたりこの長大息を見て、秀吉の偽らぬ心事を知つたのである。これのみではない。秀吉と如水は二人合作の上で、浮田と和議をむすび、信長の怒りにあつて危く命を失ひかけたこともある。蓋し、信長はあくまで浮田を亡して、領地を部下の諸将に与へるつもり、然し、秀吉は木下藤吉郎の昔から和交を以て第一とすること誰よりも如水が良く知つてゐる。今や日本六十余州、庶民はもとより武将に至るまで長々の戦乱に倦み和平をもとめて自ら秀吉の天下を希んでゐる。之を天下の勢ひと言ふ。過去の盟約、累代の情義の如きも、この大勢の赴く前では水の泡に異ならぬ。しかも天下の大勢は益々|滔々《とうとう》たる大流となつて秀吉の統一をのぞむ形勢にあるのだから、この大流に逆ふことや最も愚。秀吉の内意は和平降伏の賞与として、武蔵、相模、伊豆三国を存続せしめるといふのだから、和議に応じ、祖先の祭祀を絶さぬ分別が大切である。和平条約の実行については、万違背のないこと、自分が神明に誓ふから、と言つて、懇々説いた。
如水の熱弁真情あふれ、和談の使者の口上を遠く外れて惻々《そくそく》たるものがあるから、かねて和平の心が動いてゐた氏政は思はず厚情にホロリとした。そこで日光一文字の銘刀と東鑑《あずまかがみ》
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