百計失敗に帰して暫時の空白状態、何がな工夫をめぐらして打開の方策を立てねばならぬ。秀吉はクスリと笑つて如水を召寄せた。如水は小田原陣の頃からめつきり差出口を控えてしまつたが、表向き隠居したせゐでもあり、同時に、秀吉の帷幕では石田三成が頭をもたげて一切の相談にあづかり、如水の影は薄くなつてゐたのである。三成の小僧の如き、如水は眼中に入れてゐないが、流れる時代、人才も亦常に流れ、澱みの中に川の姿はないのである。目の玉をむき、黙々天下を横睨みに控えてゐるが、如水はすでに川の澱みに落ちたことをさとらない。尚満々たる色気、万策つきたら俺にたのめ、といふ意気込の衰へることのない男、秀吉は苦笑して、これよ、即刻チンバ奴を連れて参れ、深夜であつた。
改めて如水の方寸をたづね手段をもとめる。腹中常に策をひそめて怠りのない如水であるが、処女の含羞、少々は熟慮の風もして慎みのあるところを見せればいゝに、サラバと膝をのりだして、待つてゐました、と言下に答へる。
徳川殿をわづらはす一手でござらう。あの仁以外に人はござらぬ。北条の縁者であるし、関東の事情に精通し、和談の使者のあらゆる条件を具備してござる。三成など青二才の差出る幕ではないのに、この人を差しおいて三成だ秀家だと手間のかゝつたこと、これぐらゐの道理がお分りにならぬか、といふ鼻息であつた。
秀吉は心得てゐるから、好機嫌、よからう、万事まかせるから大納言の陣屋へ出向いて然るべく運んで参れ。万事まかせてしまへば何かしら手ミヤゲを持つて戻つてくる如水。
その翌日は焼けるやうな炎天だつた。如水は徳川家康の陣屋へでかける。家康と如水、この日まで顔を見たことがない。顔ぐらゐは見たかも知れぬが、膝つき合せて語り合ふのは始めてゞ、温和な狸と律義な策師と暗々裡に相許したから、遠く関ヶ原へつゞく妖雲のひとひらがこのとき生れてしまつた。頭から爪先まで弓矢の金言で出来てゐる大将だと如水はたつた一日で最大級に家康を買ひかぶる。家康は四十の初恋、如水は四ツ年少の弟だつたが、この道にかけては日本一の苦労人、下世話に言ふ十五六から色気づくとは彼のこと、律義な顔はしてゐるが、仇姿ねたまも忘れ難し、思ふはたゞ一人の人、まさしくこの恋人はかけがへのない天下たゞ一人、いはゞ恋仇同志であるが、仕方がなければ百万石で間に合せるといふ手もあるし、恋仇同志は妙に親近感にひか
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