き奥州弁で、豆の汗を流した。才能の限度に就て根柢から自信がぐらつき、秀吉の威力の前に身心のすくみ消える思ひである。
 その翌日が謁見の日で、登る石垣山一里の道、屠所にひかれる牛の心で、生きた心持もなく広間にへいつくばつてゐると、ガラリと襖があいて、秀吉が真夏のことゝは言ひながら素肌に陣羽織、前ぶれもなくチョロ/\現れてきた。ヤア、御苦労々々々、よくぞ来てくれたな。遠路大変だつたらう。何はおいても先づ一献ぢや。これよ、仕度を致せといふので、政宗の夢にも知らぬ珍味佳肴、豪華つくせる大宴会、之が野戦の陣地とは夢又夢の不思議である。石垣山の崖上へ政宗をつれだして小田原城包囲の陣形を指し、田舎の小競合《こぜりあい》が身上のお前にはこの大陣立の見当がつくまいな。それ、そこが早川口、伊豆の通路がこゝでふさがれてゐるから、こつちの浜辺を水軍でかためると伊豆からの連絡はもう出来ぬ、小田原の地形、関八州の交通網を指摘して二十六万の陣立を解説してきかせる。如何なる仕置かと思ひつめてきた二十四の田舎豪傑、ザンギリ頭の見栄などは忘れ果てゝたゞ/\茫然、素肌に陣羽織、猿芝居の猿のやうな小男が箱根の山よりも大きく見えてしまふのだつた。この人のためならば水火をいとはず、といふ感動の極に達した。
 とはいへ奥州探題を自任する政宗の威力必ずしも小ならず、彼を待望せる北条の失望落胆如何ばかり。之もひとへに家康の尽力である。
 家康は北条氏勝に使者をさしむけて氏政の陣から離脱させたり、小田原城内へ地下道を掘り之をくゞつて城内へ侵入、モグラ戦術によつて敵城の一角をくづしたり、神謀鬼策の一端を披露に及んで、※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]群の一鶴、忠実無私の番頭ぶり、頼まれもせぬ米をついて大汗を流してゐる。

 早春はじめた包囲陣に真夏がきてもまだ落ちぬ。石田三成、羽柴雄利に命じて降伏を勧告させたが徒労に終つた。十万余の大軍をもち兵糧弾薬に不足を感ぜぬ籠城軍は四囲の情勢に不利を見ても籠城自体にさしたる不安がないのであつた。
 浮田秀家の陣所の前が北条十郎氏房の持口に当つてゐた。そこで秀家に命じ氏房を介して降伏を勧告させる。秀家から氏房の陣へ使者を送つて、長々の防戦御見事、軽少ながら籠城の積鬱を慰めていたゞきたいと云つて、南部酒と鮮鯛《せんたい》を持たせてやつた。氏房からは返礼に江川酒を送つてよこし、
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