鬼略の打出の小槌に恵まれてゐたのだ。秀吉はアッサリ信雄に降伏して単独和議を結び、家康の戦争目的、大義名分といふものを失はせたから、負けて勝つた。家康も負けたやうな気がしない。秀吉信雄両名の和議成立に祝福の使者を送つて、小策我関せず、落付払つてゐたけれども、信濃あたりに反乱があつて田舎廻りの奔走にかけづらふうち、秀吉は着々天下統一の足場をかためて、二人の位の距りが誰の目にもハッキリしたから、家康も一代の焦りをみせた。四十の恋といふのがあるが、之も四十の初恋で、家康遂に青春を知り、千々に乱れ、ふてくされて、喧嘩を売らう、喧嘩を買はふ、規格に大小違ひはあつても恋の闇路に変りはない。
 けれども飜然として目覚めた。上洛に応じ、臣下の礼を以て秀吉の前に平伏したが、四十の初恋、このまぼろしを忘れ得るであらうか。けれども、ひとたび目覚めたとき、彼の肚裡を測りうる一人の人もゐなかつた。
 秀吉は彼に大納言を与へ、つゞいて内大臣を与へる。時人は彼を目して副将軍の如くに認めたが、その貫禄を与へることが彼を温和ならしめる手段であると秀吉は信じた。雄心未だ勃々たる秀吉は死後の社稷《しゃしょく》のことなどは霞をへだてた話であつたし、思ひのまゝに廻りはじめたパノラマのハンドルをまはす手加減に有頂天になつてゐた。家康といふ人はおだてゝおけば温和な人だ。俺の膝の上にのせてみせるから黙つて見てをれ、かう侍臣に言ふ秀吉だ。小田原陣でも、家康を陣屋に招いて群臣の居並ぶところでおだてあげて、大納言、貴公は海内一の弓取だから、この戦争では策戦万事御指南をたのむ、皆の者も戦略は徳川殿にきくがよい、臆面もなくわめきたてゝ好機嫌。ところが或日のことである。秀吉は列座の大名共に腹蔵なく威張りはじめてゐたのである。古に楠氏あり、当今は豊臣秀吉こゝにあり、日本一の兵法の達者とは俺のことだ。戦へば必ず勝つ。負けたためしは一度もない。古今東西天下無敵、ワッハッハ。すると家康が俄に気色《けしき》ばみ、居ずまひを正して一膝のりだした。之は不思議、いさゝかお言葉が過ぎてござる。殿下は小牧山で拙者に負けたではござらぬか。余人は知らず、拙者の控える目の前で日本一の兵法家はやめにしていたゞきたい。開き直つて、かう言つた。膝元からいきなり袴に火がついたとはこのこと、秀吉満面に朱をそゝぎ、皺だらけの小さな顔に癇癪の青筋だらけ、喉がつまつて
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