ヨ子からズリ落ちて大きな口をアングリあけて土間の上へ大の字にノビてしまつた。女と私は看板後あひゞきの約束を結び、ともかく中也だけは吉原へ送りこんでこなければならぬ段となつたが、ノビてしまふと容易なことでは目を覚さず、もとより洋服をきせうる段ではない。仕方がないから裸の中也の手をひッぱつて外へでると、歩きながらも八分は居眠り、八十の老爺のやうに腰をまげて、頭をたれ、がくん/\うなづきながら、よろ/\ふら/\、私に手をひつぱられてついてくる。うしろから女給が洋服をもつてきてくれる。裸で道中なるものかといふ鉄則を破つて目出たく妓楼へ押しこむことができたが、三軒ぐらゐ門前払ひをくはされるうちに、やうやく中也もいくらか正気づいて、泊めてもらふことができた。そのとき入口をあがりこんだ中也が急に大きな声で、
「ヤヨ、女はをらぬか、女は」
と叫んで、キョロ/\すると、
「何を言つてるのさ。この酔つ払ひ」
娼妓が腹立たしげに突きとばしたので、中也はよろけて、ひつくりかへつてしまつた。それを眺めて、私達は戻つたのである。
私が連れこまれた女のアパートは、窓の外に医院があつて薬品の匂ひの漂ふ部屋であつた。女はうゝんと背伸びをして、ふと気がついて、背伸びをしたいなと思ふ時でも、する気にならない時があるわね、と言つた。ほかに意味も翳もない単純な笑ひ顔だつた。お人好しで、明るくて、頭が悪くて、くつたくのない女であつた。朝、目をさまして、とび起きて、紙フウセンをふくらまして、小さな部屋をつきまはつて、一人でキャア/\喜んでゐたり、全裸になつて体操したり、そして、急に私にだきついてゲラ/\笑ひだしたり、娼家の朝の暗さがないので、私はこの可愛い女が好ましかつた。
窓をあけて青空を眺めたら、私は急に旅行に行きたくなつた。女も大賛成で、私は人から貰つて三日目ばかりの時計、これは全く私に縁がないやうにその宿命が仕組まれてゐたとしか思はれないほど高級品であつたから、女は大いに気をきかし、勇み立ち、この質屋、あの古物商、知りあひの商店の旦那をよびだして、かけあつたり、もういゝ加減で売つちやへと云つても、ダメ/\安すぎる、大いにハリキッて倦むことを知らない。質屋の出入にも、腕をくる/\ふりまはしながら飛んだり跳ねたり、ヘッピリ腰でのぞきこむかと思ふと急に威勢よくコンチハと大きな声で戸をあけたり、まるで天性あらゆる宿命を陽気に送り迎へてゐるとしか思はれぬやうだつた。そして、私の沈黙の気質だの、陰鬱な顔附などを全然気にかけてゐなかつた。バスの車掌をしてゐたが、おツリの出し入れが面倒くさくてやめてしまつたのださうで、道を歩きながら車掌のマネをしてみせて、次は何々でございます、ストップねがひます、大きな声、往来の人々がビックリふりむいて顔を見るのを気にかける様子もない。
私達は足掛け八日旅行した。たしか八日だつたと思ふ。八日帰りがなんとか言つたが、金がなくなつてしまつたので、女が大いにケンヤクを主張して安温泉を廻つて歩き、ヒルメシはカツドンばかり食はされた。私がをかしくて仕方がなかつたのは、この女は人の顔の品定めなどテンからやらぬたちなのだが、バスに乗つた時に限つて女車掌の品定めをして、あら、あの子、凄いシャンだ、と言ふ。一向にシャンでもないから、君の会社はよつぽどデブばかり揃つてたんだな、と笑ふと、この時ばかりはいさゝかてれて、ウームと一と唸り、メーデーだか何だかに赤旗かつぐのが羨しくてバスの車掌になつたのだけれども、共産党になれと言はれて、閉口したのださうである。まつたくこの女はオッチョコチョイで、出鱈目だつたが、共産党の地下運動にはカブトをぬぐ性質に相違なく、五十銭寄附したけれども、あとは降参、逃げだしたと言つてゐた。モグることができないタチであつた。
私が旅館でふと思ふのは、矢田津世子もWとこんなところへ来るのだらうな、といふことだつた。尤も、我々の旅館よりは高級であるに相違ない。待合であるかも知れぬ。尚それよりも怖れたのは、この旅先で、矢田津世子とWの姿を見かけないか、といふことだつた。私と女が見られることへの怖れではなかつた。純一に、彼等の姿を見かけることの、その事実を確めさせられることの恐怖と苦痛であつた。
私はそのころ、路上でふと立ちすくむことがあつた。胸は唐突にしめつけられ、呼吸が一瞬とまつてゐる。私はふりむいて一目散に逃げる衝動にかられてゐるのだ。私は街角を怖れた。又、街角から曲つて出てくる人を怖れた。私は矢田津世子の幻覚におびえてゐたのだ。よく見れば似つかぬ女が、見た瞬間には矢田津世子に思はれ、私は屡々路上に立ちすくんでゐたのであつた。
別して私は温泉で、矢田津世子とWの幻覚になやまされた。こんな安宿に彼等が泊る筈はないと信じながら、廊下で見
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