。があつた。なぜあなたは結婚しようと言はないのか。言つてくれゝば、私はいつでも結婚するのに、といふ意味が。矢田津世子のあらゆる讃辞が、河田誠一にさゝげられて、私の前に述べられてゐる。その心のあたゝかさと、まじめさと、友情の深さに就て。それは、すべて、河田の彼女への忠告を彼女がうけいれたといふアカシであり、私に対するサイソクであつた。私はそれに対しても、たゞ、笑ひ顔によつてのみ、答へてゐた。
 私の心は、かたくなであつた。石の如くに結ぼれてゐた。
 要するに、私は自分の心情に従順ではなかつたのである、本心とウラハラなことをせざるを得なくなる。それが私の性格的な遊びのやうなもので、自虐的のやうでもあるが、要するに、遊びだ。私はそのころ牧野信一の家で、長谷川何とかいふ手相、指紋の研究家に手をみられて、君の性格はアマノジャクそのものだ、と言はれた。然し、アマノジャクとは何か。ヒネクレてゐるといふことの外に、アマッタレてゐるといふ意味があると私は思ふ。物自体よりも物を雰囲気的に受けとらうとする気分的なセンチメンタリズムも多分にあり、要するに、いゝところは一つもない。然し、本人は案外いゝ気なもので、それに私は、センチメンタルではあるけれども、同時に、野放図な楽天家でもあつた。えゝマヽヨ、どうにでもなれ、といふことが、いつも、つきまとつてゐるのだから。
 矢田津世子と私は「桜」をやめた。二号目ぐらゐで、菱山もやめた筈だ。私はもう、あのころのことは殆ど記憶にない。雑誌のことも、矢田津世子のことも。私は特に彼女のことをつとめて忘れようとした長い期間があるのだから。
 そのころのことで変に鮮明に覚えてゐるのは、中原中也と吉原のバーで飲んで、――それがその頃であるのは私は一時女遊びに遠ざかつてゐたからで、中也とのんで吉原へ行くと、ヘヘン(彼は先づかういふセキバライをしておもむろに嘲笑にかゝるのである)ジョルヂュ・サンドにふられて戻つてきたか、と言つた。銀座でしたゝかよつぱらつて吉原へきて時間があるのでバーでのむと、こゝの女給の一人と私が忽ち意気投合した。中也は口惜しがつて一枚づゝ、洋服、ズボン、シャツ、みんなぬぎ、サルマタ一枚になつて、ねてしまつた。彼は酔つ払ふと、ハダカになつて寝てしまふ悪癖があるが、このときは心中大いに面白くないから更にふてくされて、のびたので、だらしないこと甚しく、
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