は変にその言葉を忘れることができない。
あなたは大人であつたのか。私は? 私は馬鹿々々しいのだ。何よりも、魂と、情熱の尤もらしい顔つきが、せつなく、馬鹿々々しくて仕方がないのだ。その馬鹿らしさは、私以上に、あなたが知つてゐたやうな気がする。そのくせ、あなたは、郵便で送らずに、野口の家へわざ/\原稿をとゞけるやうな芸当ができるのだが、それを女の太々《ふてぶて》しさと云つてよいのだか、悲しさといふのだか、それまでを、馬鹿々々しいと言ひ切る自信が私にはないので、私は尚さら、せつないのだ。
その頃から、あなたは病臥したらしい。そして、あなたが死んで、ハガキ一枚の通知になるまで、私はあなたが、肺病でねてゐることすら知らなかつた。
私の母は私とあなたが結婚するものだと思ひこみ信じてゐたが、ぐうたらな私に思ひを残して、死んでゐた。あなたのお母さんは生きてゐたのだ。あなたの死亡通知の中には、生きてゐるアカシの、お母さんの名があつたから。矢田チヱといふ、私は名すら忘れてはゐない。私の母以上に、私たちの結婚をのぞんでゐた筈であつた。私があなたの家で御馳走になり酔つ払ふのを目を細くして喜んでゐるお母さんであつた。際限もなく私に話しかけるお母さん。けれども、その言葉は、あなたの通訳なしには、私には殆ど分らなかつた。ひどい秋田弁なのだから。
死亡通知は印刷したハガキにすぎなかつたが、矢田チヱといふ、生きてゐるお母さんの名前は私には切なかつた。そして、その印刷した文字には「幸うすく」津世子は死んだと知らせてあつた。「幸うすく」、あなたは、必ずしも、さうは思つてゐないだらうと私は思ふ。人の世の、生きることの、馬鹿々々しさを、あなたは知らぬ筈はない。
けれども、あなたのお母さんは「幸うすく」さう信じてゐるに相違なく、その怒りと咒ひが、一人の私に向けられてゐるやうな気がした。そして、私は泣いた。二三分。一筋か二筋の、うすい涙であつた。そして私が涙の中で考へた唯一のことは、ある暗黒の死の国で、あなたと私の母が話をして、あなたが私の母を自分の母のやうに大事にしてくれてゐる風景であつた。そして、私は、泣いたのだ。
私は、この尤もらしい顔附が切ない。かう書いてしまふと、これだけの尤もらしさになつてしまふ、表現のみじめさが切なく、馬鹿々々しいのだ。さうかと云つて、さうであるまいとすると、私はてんか
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