ス。私は遊びに行つた始めての日、母と娘にかこまれ、家族の一人のやうな食卓で、酒を飲まされて寛《くつろ》いでゐた。
その日、帰宅した私は、喜びのために、もはや、まつたく、一睡もできなかつた。私はその苦痛に驚いた。ねむらぬ夜が白々と明けてくる。その夜明けが、私の目には、狂気のやうに映り、私の頭は割れ裂けさうで、そして夜明けが割れ裂けさうであつた。
この得恋の苦しみ(まだ得恋には至らなかつたが、私にとつてはすでに得恋の歓喜であつた)は、私の始めての経験だから、これは私の初恋であつたに相違ない。然し、この得恋の苦しみ、つまり恋を得たゝめに幾度かゞ眠り得なかつた苦しみは、その後も、別の女の幾人かに、経験し、先ほどの二人の女のいづれにも、その肉体を始めて得た日、そして幾夜か、睡り得ぬ狂気の夜々があつた。得恋は失恋と同じ苦痛と不安と狂気にみちてゐる。失恋と同じ嫉妬にすら満ちてゐる。すると、その翌日は手紙が来た。私はその嬉しさに、再び、ねむることができなかつた。
そのころ「桜」といふ雑誌がでることになつた。大島といふインチキ千万な男がもくろんだ仕事で、井上友一郎、菱山修三、田村泰次郎、死んだ河田誠一、真杉静枝などが同人で、矢田津世子も加はり、矢田津世子から、私に加入をすゝめてきた。私は非常に不快で、加入するのが厭だつたが、矢田津世子に、あなたはなぜこんな不純な雑誌に加入したのですか、ときくと、あなたと会ふことができるから、と言ふ。私は夢の如くに、幸福だつた。私は二ツ返事で加入した。
私たちは屡々会つた。三日に一度は手紙がつき、私も書いた。会つてゐるときだけが幸福だつた。顔を見てゐるだけで、みちたりてゐた。別れると、別れた瞬間から苦痛であつた。
「桜」はインチキな雑誌であつたが、井上、田村、河田はいづれも善意にみちた人達で、(菱山は私がたのんで加入してもらつたのだ)私は特に河田には気質的にひどく親愛を感じてゐたが、彼は肺病で、才能の開花のきざしを見せたゞけで夭折したのは残念だつた。彼はすぐれた詩人であつた。
インチキな雑誌であつたが、時事新報が大いに後援してくれたのは、編輯者の寅さんの好意と、これから述べる次の理由によるせゐだと思はれる。
ある日、酔つ払つた寅さんが、私たちに話をした。時事の編輯局長だか総務局長だか、ともかく最高幹部のWが矢田津世子と恋仲で、ある日、社内で
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