鰍オて、物思ひに耽ることがあつたり、ふと気がついて女を見ると、私の目もさうであるに相違ないのだが、憎むやうな目をしてゐる。憎んでゐるのでもないのだけれども、他人、無関心、さういふものが、二人といふツナガリ自体に重なり合つた目であつた。
「憎んでゐる?」
 女はたゞモノうげに首をふつたり、時には全然返事をせず、目をそらしたり、首をそらしたりする。それを見てゐること自体が、まるで私はなつかしいやうな気持であつた。遊び自体がまつたく無関心であり、他人であること、それは静寂で、澄んでゐて、騒音のない感じであつた。
 そして私は矢田津世子の肉体を知らないことを喜んだ。その肉体は、この二人の女ほど微妙な魅力もこもつてをらず、静寂で、無関心である筈はない。私にとつて、女体の不完全な騒音は、助平根性をのぞけば、侘しくなるばかりだから。淫楽は悲しい。否、淫楽自体が悲しいのではなく、我々の知識が悲しい。
 私は先ほどスタンダールのメチルドのことにふれたが、あれはどうも、ひどい誇張で、本心であるとは思はれない。私にとつて、矢田津世子はもはや特別な女ではなく、私は今に、もつとバカげた、犬のやうな惚れ方を、どこかの女にするやうな予感がつきまとつてゐる。そのくせ私は、惚れることには、ひどく退屈してゐるのだが。

          ★

 英倫と一緒に遊びに来た矢田津世子は私の家へ本を忘れて行つた。ヴァレリイ・ラルボオの何とかいふ飜訳本であつた。私はそれが、その本をとゞけるために、遊びに来いといふ謎ではないか、と疑つた。私は置き残された一冊の本のおかげで、頭のシンがしびれるぐらゐ、思ひ耽らねばならなかつた。なぜなら私はその日から、恋の虫につかれたのだから。私は一冊の本の中の矢田津世子の心に話しかけた。遊びにこいといふのですか。さう信じていゝのですか。
 然し、決断がつかないうちに、手紙がきた。本のことにはふれてをらず、たゞ遊びに来てくれるやうにといふ文面であつたが、私達が突然親しくなるには家庭の事情もあり、新潟鉄工所の社長であつたSといふ家が矢田家と親戚であり、S家と私の新潟の生家は同じ町内で、親たちも親しく往来してをり、私も子供の頃は屡々《しばしば》遊びに行つたものだつた。私の母が矢田さんを親愛したのも、そのつながりがあるせゐであり、矢田さんの母が私を愛してくれたのも、第一には、そのせゐだつ
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