して毎晩修三兄弟の不在がつづき婆さんと僕二人だけで深夜まで話しこむ習慣がつくと、婆さんは僕を大いに頼もしがり、グチから転じて三百代言のようなことを頼まれた。婆さんは占師から月々三十円の生活費をもらっていたが、修三兄弟と一緒の生活を命じられて以来、一文の金も受取らぬ。女中だって只の筈はないわけで、こういう不良青年兄弟の世話をやらされたあげく、従来の生活費まで体よく中止されては話にならぬ。生活費をくれないわけはないので、兄弟が消費しているに相違ないから、占師に会ってこのことを確かめてくれないか、というのである。兄弟にききただしても嘘をつくにきまっているし、婆さんは占師の本宅は門前払いで、若しも強いて訪ねてくれば、それを限りに絶縁するということを堅く言い渡されていたのであった。
この占師は中学生のころ修三を訪ねて行って(修三は占師の家にいた)時々見かけたことがあったが、占師という特殊な世渡りが我々に感じさせる悪どいものはなくて、文学青年的な神経をもった根気のつづかない憎めない人というような印象を受けた。膝つき合せれば何事でも腹蔵なく言い合えるような印象だったが、婆さんの依頼の用で会う気はなかった。ほったらかしておくと、サイソクが急になったので、やむなく連日の医療訪問を中止してしまった。
ところが、僕が訪問を中止すると、まもなく、修三兄弟は遊びつめて首がまわらぬ仕儀となり、婆さんを置き去りに夜逃げする。婆さんは金光教の信者だったので、本郷の金光教会へ引きとられた。これらの出来事を僕は知らずにいたのである。
ある日、婆さんから手紙がきて、之までの事情が書いてあり、修三兄弟夜逃げの責任を問われて送金を絶たれたが、こんな筋の合わぬことはない。ぜひ力になって欲しい。占師にかけ合って貰いたい。ついては是非一度訪ねてきてくれ、と書いてある。仕方がないので教会を訪ねて行ったが、もう印象が殆んどないけれども、薄暗い六畳ぐらいの小部屋が幾つかあって、その一つで婆さんと会った。殆んど人の気配を感じない建物であった。婆さんはシクシクとシャクリあげながら、いつ終るともないグチ話。僕は一段落つくのを待ち、そのとき迄は全然念頭にもなかったことを急に思いついて言い、婆さんの呆気にとられるのを尻目にサッサと帰って来たのであった。僕は言った。お婆さん。あなたは世の中で一番気楽な隠れ家の中にいるのです。あなたのような方にとって、宗教ぐらい誂え向きな住みかはない。俗念をすてなさい。三十円ぐらいの金は有っても無くても同じことです。執着をすて神様にたのんで大往生をとげなさい。さよなら。
婆さん訪問は毎日夜間の行事であったが、昼は昼で精神病院へ辰夫という友達を毎日訪ねていた。辰夫は周期的に発狂するたちで、当時全快していたが、公費患者というものは然るべき身元引受人がないと退院できぬ。発狂したとき霊感があって株をやり、家の金を持ちだして大失敗したり、母親へ馬乗りになって打擲したりしたから、家族は辰夫の一生を病院の中へ封じるつもりで、見舞いにも来ないのである。僕が毎日訪ねて行くから辰夫の感動すること容易ならぬものがあるが、こっちの方はそれどころではないので、気違いでも何でも構わぬ、誰かと喋っていなければ頭が分裂破裂してしまうという瀬戸際で、犯罪人が現場へ行ってみたがる心理と同じようなもので、僕も精神病院の底の底まで突きとめておきたいという気持もあった。犯罪者が刑事を怖れるように、僕も医者が煙たかったり、冷やかしてみたかったり、智恵くらべしたいような気になったり、そのころ受付に可愛い(と云ってもそれ程のこともないが)看護婦がおったが、患者達も一様に目をつけていると見え、辰夫の言葉からそれが分るし、その娘が昼休みに庭の隅で同僚と繩飛びをしていたのを気違い達が各※[#二の字点、1−2−22]の窓から息を殺してのぞいていた。その情景の辰夫の表現が異様に仇めいていて僕はビックリしたのであった。こういう珍らしい話をきいたり、可愛い看護婦の顔を見たり、色々景品があるので、僕は大いに喜んで毎日通っていたが、そうそう珍しい話はつづかぬ。治った狂人というものは概して非常に自卑的な卑屈な気持になるらしく、始めはそれも面白かったが、馴れてしまえば、こっちの気持まで重苦しくなるばかりである。面会室は広い講堂で、その隅ッコに二人差向い、横に看護婦が[#「看護婦が」はママ]控えておる。看護人はみんな気違い上りで、いずれも目付が尋常でなく、何を言いかけても返事もせず、顔色一つ動かしたためしがない。糞マジメで、横柄で、威張り返って、いつ横からポカリと僕を殴るか分らぬような油断のならぬ面魂だ。この看護人は毎日必ずバイブルを片手にぶらさげておった。僕達も仏教のことばかり喋っていたが、話の種がつき、話の途中にタメ息がもれるぐらい、僕はもう明日からは断々乎として訪問を止そうと思う。重苦しくて、頭が破れそうである。ところが辰夫は規定の面会時間が終って別れる時に僕の手を握り、明日も来てくれたまえね。君の訪ねてくれるのだけが生き甲斐なのだから、と云って泣きだすものだから、僕も之にはタマげてしまって訪問を止すということが出来なかった。ところへ世はままならぬもので、病院の方では僕の毎日の訪問が殊勝だというわけで、三十分の面会時間を一時間に延してくれたのである。僕も心中暗涙を流して、この調子ではオレも愈※[#二の字点、1−2−22]精神病院だと絶望した程であった。尤も、僕の友愛精神に感激して、受付の看護婦が大変僕に好意を示し、僕の姿を認めるとニコリと笑って立上ってハイと云って奥へ知らせに駈けこんで行く。これだけは気持が良かった。
病院訪問と同時に、辰夫に頼まれ、病院の帰り道に毎日辰夫の母に会いに行かねばならなかった。つまり全快のことを告げて退院の手続を運ぶこと、尤も辰夫は三等患者時代の借金があるので、金の工面がつかなければ退院が延びても仕方がないが、チーズやバタを送ってくれ、と頼む為だ。というのは、辰夫の家は食料品店だったからだ。ところが発狂当初辰夫は母をブン殴ったり首をしめたりしたものだから、辰夫という名前をきいても母親は厭な顔をする。気違いという病気は治るものじゃない。と言って僕に説教し、性こりもなく僕が毎日訪ねて行くものだから、この男も精神に異状があるのじゃないかと疑ぐりだすのであった。けれど毎日辰夫にせがまれるから仕方がない。之も神経衰弱療法の一つで、何でもいい、何かしら目的をもって行動しておればいくらか意識の分裂が和ぐのだから、僕は実にはやキチョウメンに、風速何百米の嵐でも出掛けて行った。どうせ先方の返事は分っているのだから、僕は諦めの良い集金人みたいのもので、店頭に立ち又来ました、というしるしにニヤリと笑う。すると先方はホラ気違いが笑ったというのでゾッと身顫いに及び、気違いにチーズやバタがいりますか、ゼイタクな、それを又、取りつぐ馬鹿がいるのだからネ、と言って怒るのである。フッフッフ。あいつ発狂して私に馬乗りになってネ、ホラ、まだ爪跡があるでしょう、締め殺そうとしたのですよ。実の母親をね。お前さんも厭な顔附だ。やりかねないよ。おお、怖わ。フッフッフ。と言うのであった。ヒステリイ甚しい老婆で、不運つづき、気の毒な人だと思い、僕は腹が立たなかった。いいえ辰夫は全快しているのですよなどとでも言うものなら、実に深刻に怯えきって僕をみつめ、こいつも気違いだ、と疑ぐりだすから、ヤア、それはどうもお気の毒でした、では本日は之まで、と戻ってくる。
檻の中の辰夫は家族の愛情を空想せずには生きられぬ。僕も之を察していたので、辰夫の夢をくずしてはならぬ、と思い、用があって昨日は母に会えなかった、と毎日同じ嘘をつく。之が嘘だということを辰夫もやがて気付いたが、彼自身とてこの夢をくずしては破滅だから、そう、と一言頷くだけ、強いて訊ねることはなかった。けれども辰夫の身にすれば、家族の愛、これだけが唯一の夢。僕のそぶりから家族の冷めたさをさとるにつけて、彼の心は一そう激しく母の愛を祈りはじめる。はては、僕が例の如く昨日も用で君の家へ行けなかったと嘘をつくたびに、不器用にヘタな嘘をつきたもうな、という顔をし、君はまだ人生の深所が分らぬから母の表面の表現に瞞著されているが、母は自分を愛している、ただ四囲の情勢からその表現が出来ないだけだ、という意味のことをそれとなくほのめかそうとする。辰夫の心事の当然そうあるべきことを僕も同情をもって見ていたから、直接そのことに腹は立たないのだけれども、話題のつきはてた毎日の憂欝、破裂しそうで、一日、遂に僕は怒り狂い、君は実に下らぬ妄想にとりすがり、冷めたさに徹する術を知らぬ哀れな男だ。こんな檻の中にいてこそ、せめて冷めたさに徹する道を学ぶがよい。君の母こそまことに冷酷きわまる半気違いで、君のことなど全然考えてはおらぬ。見事なぐらい君のことを心配しておらぬから、僕は却って清潔な気持になるぐらい、君と話をするよりも君のおッ母さんと話をする方が数等愉しい。僕が毎日この病院へくるのは君に会いにくるのじゃなくて、実のところは、受付の看護婦の顔を見にくるのだ、と言った。怒り心頭に発して、こう言ったのである。ところが辰夫は看護婦云々のことなどは問題にせず、打ちのめされた如くに自卑、慙愧、ものの十分ぐらい沈黙のあげく、自分の至らぬ我儘から君を苦しめて済まぬ、と言った。ところが意外のところに伏兵があって、看護婦云々の一言をきくやバイブルの看護人が生き返ったキリストの如くに突然グルリと目玉をむいたので、アッと思った。
その翌日、或いはそれから程遠からぬ日数の後、僕は遂に決意して、この訪問を中止してまもなく、辰夫の兄という人から少女小説のようなセンチメンタルな手紙をもらい、辰夫は退院し、鉄道の従業員となって千葉の方へ行ったという知らせを受けた。
大事な医療訪問をみんな失ってしまったので、危機至る、何でもよろしい、何か目的を探してそれに向って行動を起さねばならぬ。僕は当時酒の味を知らなかったが、一度修三に誘われて酒を呑んだことのある屋台のオデンヤへ、ねむれぬままに深夜出掛けて行った。ところが相客に四十五六と思われる貧相な洋服男があり、ケイズ屋という商売だそうで、勝手な系図をこしらえて成金共に売る、いい金になるぜ、吉原で豪遊してきた、と威張っていた。僕に色々と話しかけ、エカキの卵だなどとデタラメなことを答えていると、誂え向き、ケッコウ、突然男は叫んで、葉書のような名刺をだし、明朝ぜひ訪ねてこい、金もうけの蔓がころがっていると言う。年をとると毎晩のオツトメがつらいよ。オレのオッカアはふとっていて、オッカない女だからね、アッハッハ、と帰って行ったが、消えるような貧相な後姿で、ヨソ目ながら前途の光の考えられぬ男に見えた。
けれども僕は之ぞ神様の使者であると考えた。何でもよろしい、目的を定めて行為しておらねばならぬ。翌朝さっそく名刺をたよりに男の家を訪ねた。貧民窟である。どの家も表札がないので一時間ぐらい同じ所をグルグル廻らねばならなかったが、不思議な街があるもので、一町もある煉瓦づくりの堂々たる塀があるのである。ところが塀の両側はどっちも倒れそうな長屋がズラリと並んでいて、両側とも単に道であり、長屋であり、その道ではオカミサンが井戸をガチャガチャやり、子供が泣いたり、小便したり、要するに、昔、このへんに工場か何かあり、それをこわして塀の一部分だけこわし残っているうちに貧民窟が立てこんだという次第であろう。系図屋の家はその奥にあって、今まさに出勤という所、なるほどふとったオカミさんがいて、亭主の出勤など問題にせず食事中、チャブ台のまわりに子供がギャアギャアないていた。
来たのかい、と言って男はてれたが、気をとりなおして、マア上りな、たのしみのある商売さ、いい金になるぜ、と言った。猥画を書けというのだが、絵の道具がないからと断ると、それは困ったな、弘法は筆を選ぶと言って、商売人は絵筆のギンミ又厳重だと言うから、コチトラの
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