まったく稀薄なものであるが、ぬきさしならぬ感情的な思考がある。
 家は焼かれ、親兄弟、女房、子供は焼き殺されたり、粉みじんに吹きとばされたり、そういう異常な大事にもほとんど無感覚になっている。人ごとではない。自分とて今日明日死ぬかも知れず、いな、昨日死なゝかったのがふしぎな状態を眼前にしながら、その戦争をやめたいとみずから意志することは忘れていたのである。
 忘れていたのではない、その手段がありえなかったからあきらめていたのだといっても、おなじことで、要するにあきらめていた。勝手に戦争をやめ、降参したのは、まさしく天皇と軍人政府で、国民の方はおゝむね祖国の宿命と心中し、上陸する敵軍の弾丸、爆弾、砲弾の隙間をうろうろばたばた、それを余儀ないものにおもっていたのだ。
 もとよりそれは本心ではない。人間の本心というものは、こればかりはわかりきっているのだから。曰く、死にたくない、ということ。けれども、本心よりも真実な時代的感情というものがある。人の心には偽りがあり、その偽りが真実のときは、真実が偽りでありうることもある。人の心は儚い。心の真実というものが儚いのだ。
 戦争中のわれわれは、たゞ
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