いものが現れたが、それは香港から羽田着の飛行便で奈々子宛に送られたことを語っていた。そしてたしかに香港から発送された証拠には、それを包むに用いたらしい香港発行の新聞紙がたくさん押入の奥に押しこまれていたのであった。
さらに意外なことがあった。机のヒキダシの中や、ハリ箱の中や、筆入れの中からまで、無造作に合計五十三個という南京虫腕時計が現れたのだ。
屍体のかたわらに奈々子のハンドバッグがひッかきまわされて捨てられていたが、その中にもひッかきもらした南京虫が一ツ残っていた。たぶん犯人はハンドバッグの中にあった南京虫だけ盗み取って行ったらしい。
「すると比留目奈々子がミス南京だったのか。なるほど、死顔ですらも、思わず身ぶるいが走って抱きつきたくなるような美人だねえ」
「香港から飛行機で送られてくるカンヅメのうち約三分の一が本物の果汁で、他の三分の二が南京虫というわけか」
「犯人がボストンバッグをぶらさげてきた謎が、それで解けるわけだな」
そこで羽田の税関はじめ関係局の配達夫等にまで調査をすすめてみると、この荷物が奈々子のもとへ送られてきたのは当日の午前中のことだ。ところが、それ以前にも、約四ヵ月前から合計五度にわたって同じような荷物が香港から届いているのが分った。
しかし、波川巡査はまだなんとなく解せないことがあった。
「自分が思わず立ち止ったとき、奈々子の叫んだ言葉というのは、こうなんです。小包……そんなもの知らないわよ……脅迫するのね。――ざッとこんな意味でしたよ」
「つまり犯人が南京虫の到着を知って取りに来たから、そんな小包はまだ来ていないとゴマカしたのだろう。それがそもそも奈々子の殺された原因さ」
云われてみれば、ピタリとツジツマが合うようだ。けれども、波川の頭には、なぜだか証明できないが、どこかにマチガイがあるような感じがついて離れなかった。するとそのカンもまんざら捨てたものではないことをなかば証拠立てるような事が現れた。
犯人を見たのは波川父子だけであるが、二人の印象を土台にモンタージュ写真を作った。インテリ風の眼鏡男は波川巡査一人しか見ていないから信用できかねるが、遊び人風の若者の方は二人の印象を合せていくうちに、二人そろってこの顔に甚だ似ていると断言したほどの似顔絵ができあがった。
半年ほど前まで奈々子の旦那だったという勝又という実業家にこの似顔絵を見せると、
「この男なら、奈々子のもとに出入りするのを三四度見かけました」
「相棒が一しょでしたね」
「いえ、私の見たのは、いつもこの男一人だけです」
「どういう用件で出入りしていたのですか」
「実はそれが判ったために、次第に奈々子と別れる気持になったのですが、この男は奈々子にモヒを売りこみに来ていたのです。モヒが命の綱ですから、奈々子はこの男なしには生きられない状態だったと云えましょう」
「すると、情夫ですね」
「いいえ。すくなくとも私が旦那のうちは、この男が情夫であった様子はありません。この男なしには奈々子が生きられなかったという意味は、モルヒネが奈々子の命の綱だったという意味なんです。そして私の知る限りでは、二人の関係は純粋な商取引だけのようでした」
「奈々子さんの生活費はどれぐらいかかりましたか」
「私が与えていた定額は毎月五万円、それに何やかやで七八万になったかも知れませんが、奈々子はモヒの費用のために女中も節約していたほどで、いつもピイピイしていましたね」
この証言に至って、それまでの見込みが怪しくなってきたのである。ミス南京ともあろうものがそんなにピイピイしているはずはない。彼女がそれまでに稼いだ額はたぶん一億以上にのぼるだろうと見られているのだ。
もっとも、ミス南京が密売線上に現れてから、まだ五ヵ月ぐらいにしかならないから、勝又と別れた後のことではあるが、今も奈々子の押入の中には果汁のカンヅメとモヒのアンプル以外に目星しい品物は何もない。美女にとっては命ともいうべき衣裳類すら何もなく、着ている和服が一チョウラのようなものであった。ピアノすら売り払ったらしく、影も形もなくなっているのだ。自分が麻薬の密売もやりながら、麻薬のために所持品を売りつくしてピイピイしているミス南京は考えられないのである。
「お父さんのカンは当ったらしいわね。この事件には表面に現れていない裏が隠されていると思うの」
百合子にこう云われて波川はてれながら、
「オレのカンが当ったという自信もないなア。何か変だと思うことがあるだけで、何が変だか分らない始末なのだからなア」
「何が変だか、私が云ってみましょうか」
「ウム」
「陳氏の邸内へとびこんだ犯人がなぜ猛犬に襲われなかったかという謎よ。私、陳家のドーベルマンとシェパードのことを調べてみたのよ。警察犬訓練所で一年以上も訓練された飛びきり優秀犬なのよ。そのほか、室内にはボストンテリヤと、ボクサーという小型の猛犬も飼われてるのよ。知らない人はあの邸内に一歩ふみこむこともできないような怖しいところなのよ」
「庭が広いから、一隅で起ったことには、他の一隅にいる犬は気がつくまいよ」
「あるいは、そんなことかも知れないけど……」
百合子はやがて晴れ晴れと叫んだ。
「私、とにかく、当ってみるわ。私のカンもなんだか正体がつかめないのだけど、でも、うっちゃっておけないような気持があるのよ。これから陳邸へ乗りこんでみるの」
どうやら百合子の顔の腫れもひいて、娘々した可愛いい昔の顔にかえっていた。
[#5字下げ]美女と佳人[#「美女と佳人」は中見出し]
百合子は娘らしい普通の洋装で行ったけれども、婦警の身分は隠さなかった。
「先夜、この邸内へ逃げこんで行方不明になったある事件の容疑者のことで、助言していただけたらとお伺いしたんですけど、御主人に会わせていただきたいのですが」
「御主人は商用で台湾へ御流行中さ」
「代理のお方は?」
「お嬢さまがいらっしゃるけど、会って下さるかどうか」
「ほかに御家族はいらっしゃらないんですか」
「奥さまも居ないし、男の御子様もいないよ。オスは今のところ犬だけさ」
「お嬢さまにぜひ会って下さるようにお願いしてちょうだいな」
「巡査なんていけ好かないが、まア、女だから、取り次いでやろう」
ところが意外にカンタンにお許しがでて、邸内へ通された。この家も戦災で焼けたのを、陳氏が地所をかりて小ザッパリした洋館をたてたものだ。室数は十室ぐらいで、庭にくらべてそう大きな家ではなかった。
広間へ通された百合子は、現れた陳令嬢の美しさに、思わず息をのんでしまった。自然にポッとあからんで、あまり上手ではない英語をギクシャクとあやつりながら、
「突然、恐れ入ります。私、婦警の……」
と云いかけると、令嬢はニコニコして、
「日本語で仰有《おっしゃ》い。私、日本人と同じぐらい日本語が上手よ。日本で育ったから。あなた、本当に、女のお巡りさん?」
「ええ、そうです」
「まア、可愛いいお巡りさんだこと。男の犯人をつかまえたことあって?」
「いいえ、まだですけど」
「猛犬がうろついてる中国人の邸内へ一人でくるの心配だったでしょう」
「ええ。ですから、お嬢さまにお目にかかって、目がくらんでしまったのですわ」
「お上手ねえ。お答えできる範囲のことはなんでも答えてあげますから、用件を仰有って」
「先夜、この邸内へ逃げこんだまま行方が消えてしまった容疑者のことなんですけど、そのとき庭に放されていたはずのドーベルマンとシェパードが闖入者を見逃した理由が分らないのです」
令嬢はいかにも同意するようにうなずいた。
「それは本当にフシギなことね。ですけど、知らない人たちが空想するほど、犬は利巧でもなく、鋭敏でもないらしいのね。これは飼い主の感想です」
「御当家へ出入りの男でしたら、犬は闖入者を見逃すでしょうか」
「特別犬と親しければ、ね。ですけど、犬が見逃すほど親しい男といっては、たぶん父のほかにいないでしょうね」
「お父さまはいま日本にいらッしゃらないのでしょう?」
「そう。もう半年もずッと台湾へ行ってるのです。ですが、乱世のことですから、国際人はたいがい神出鬼没らしいわね。ひょッとすると、私の知らないうちに、日本に戻っているのかも知れないわ。もしも父がその闖入者なら、年齢は六十ぐらい、銀髪で五尺五寸ぐらいの優さ男です」
「容疑者の年齢は三十ぐらい、身長は五尺三寸以下ぐらいという話なのです」
「それじゃ、父じゃないわ。身長はとにかく、年齢はいつわれないでしょうから」
「あの晩誰かが邸内に闖入した気配をお気づきになりませんでしたか」
「あなた方が庭を探しまわるまで、特に気づいたことはなかったようです。読書にふけっていましたから」
「私たちが立ち去った後は?」
「さア。それも、ありませんね」
百合子の質問は、そこまでで種が切れてしまった。こんな清楚な可憐な令嬢に、得体の知れない犯人のことで、これ以上の質問はムダというものだ。
しかし、最後に、異常な勇気をふるい起して、思いきって、きいた。
「こんな質問は本当に礼儀知らずとお思いでしょうが、さッき乱世と仰有いましたが、それに免じて許して下さいませ。実はこの邸内へ逃げこんだ容疑者というのは、密輸品売買の容疑者なのです。密輸品と申せば、常識として、日本人の手に渡る前に、まず外国人を考えます。私が御当家を訪れましたのも、そこに期待をつないでのことだったのです。お嬢さまにお目にかかってその期待も失ってしまったのですけど、念のため、訊かせて下さいませ。正直に申します。お父さまは密輸品売買にたずさわっていらッしゃるのとちがいますか」
正直にも程があろうというものだ。ほかの人にはむしろこうは云えないが、息がつまるほど好感のもてる令嬢だから、かえって狎《な》れて、こう言いきる以外に仕方がなかったのである。
令嬢は鳩が豆鉄砲くらったように目をパチパチさせたが、百合子をやさしく睨んで、
「たとえ本当にそうだとしても、そうですなんて、誰だって言う筈ないわよ。あなたッたら、まア、どうしてにわかに大胆不敵な質問をなさッたの?」
「それは、その、さッき仰有ったことのせいです。乱世だから、国際人は神出鬼没だって」
「敏感ね、日本の婦警さんは」
「じゃア、やっぱり、そうですか。アラ、ごめんなさい」
「あやまることないわよ。この乱世に他国へ稼ぎに来ている国際人は、どうせそれしか商売がないでしょうね。ですから、あなたのカンは正しいかも知れないけど、密輸品にもピンからキリまであるのです。政府や他の勢力がひそかにそれを奨励しているような密輸だって、あるかも知れないのよ」
「すみません」
「いいのよ。それで、もしも父がそうなら、それから、どうなの?」
「もう、いいんです」
百合子は口を押えて、ふきだしたいのを堪えながら、立上った。
「また変なことお訊きに伺うかも知れませんけど、会って下さいますか」
「ええ、ええ。何度でも、いらッしゃい。お勤めの御用の時に限らずに、ね」
「ありがとう」
百合子はワクワクしながら、夢中で表へとびだした。
渋谷駅の方へ歩きかけると、後から呼びとめられた。父であった。
「心配だから、そッと様子をうかがっていたのさ。首尾はどうだい?」
「ウチへ帰って話すわ」
百合子は父の手をとって、子供の遠足のように大きくふりながら、上気して歩いていた。
[#5字下げ]父の推理[#「父の推理」は中見出し]
家へ戻って、百合子は陳邸での様子を父に物語った。
父はいかにも意外の顔で、百合子の話をきき終ったが、ふと淋しそうに云った。
「女はそういうものかなア」
「なアぜ?」
「お前のようなシッカリ者でも、ボオーッとなると、そんなになるのかということさ。だってなア。お前はえらい決心で出かけたはずじゃないか。なぜ猛犬が闖入者を襲わなかったかという素敵な疑問から出発してさ」
「素敵な疑問だなんて、お父さんたら、からかってるのね。犬の位置の反対側へ闖入者がとび降りた場合、広い邸内だから、犬も気がつかない
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング