・デタを企んでゐるといふのであつた。
 押勝は自邸に警備をつけ、召捕の使者は即刻四方に派せられた。その隊長の一人は藤原永手であつた。彼は押勝の命を受け、まるで腹心の手先のやうな赤誠を示して出掛けて行つた。主謀者達は、諸王も諸臣も召捕られた。然し白状したものは、小野東人だけだつた。そして、東人に白状せしめた者も永手であつた。
 諸王達も諸臣達も、他の何人も白状しなかつた。彼等はたゞ東人が誘ひにきたので集つたので、集りの目的も知らないと言つた。東人が礼拝しようと言ひだしたので、何を礼拝するのかと訊くと、天地を拝すのだといふ、それで言はれるまゝに礼拝したが、陰謀の誓約のために礼拝したのと意味が違ふ、それが彼等の答へであつた。彼等の答へは全てがまつたく同一だつた。
 そこで彼等は拷問せられて、廃太子道祖王、黄文王は杖に打たれて悶死をとげ、古麿と東人も拷問に死んだ。生き残つた人々は流刑に処された。東人が杖に打たれて死んだので、この真相はもはや誰にも分らなかつた。
 そして、このとき、豊成の子の乙縄《おとただ》も陰謀に加担してゐた。そこで父の右大臣は陰謀を知つて奏することを怠つたといふ罪に問はれて、太宰員外帥《だざいいんがいのそち》に左遷され、遠く九州へ追ひ落されてしまつたのである。
 あらゆる敵を一挙に亡したばかりでなく、目の上の瘤、兄大臣を退けることまでできた。押勝の満足は如何ばかり。
 ところで、その同じ時刻に、顔を見合せてニヤリとしてゐた一味がゐた。藤原永手、藤原|百川《ももかわ》、その他藤原一門の若い貴族の面々だつた。彼等こそ押勝の腹心だつた。赤心を示し、忠誠を誓ひ、召捕に、又、拷問に、糾明に、率先当つた人々であつた。
 然し、彼等は祝杯をあげてゐたのである。彼等は老いたる狐の如くに要心深い若者だつた。祝杯の陰の言葉から、我々は如何なる秘密もきゝだすことはできない。その場にたとへば押勝がひそかに忍んで立聞きしても、陰謀の破滅と、平和の到来を祝ふ言葉をきゝ得たゞけであつたらう。

          ★

 藤原不比等に四人の男の子があつた。各々家をたて、武智麻呂《むちまろ》を南家、房前《ふささき》を北家、宇合《うまかい》を式家、麻呂を京家と称し、各々枢機に参じてゐた。安宿夫人は光明皇后となり、三千代の勢威は後宮に並ぶものなく、藤原氏にあらざれば人にあらざる有様だつた。
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