としてその実権を掌握するに至つたのは、大化改新に於てゞあつた。
蘇我氏あるを知つて天皇あるを知らずと云ひ、蘇我氏は住居を宮城、墓をミサヽギと称し、飛鳥なる帰化人の集団に支持せられて、その富も天皇家にまさるとも劣るものではなかつた。畿内に於けるこの対立ほど明確ではなかつたにしても、地方に於ける豪族は各々土地を私有して、独立した支配者として割拠してをり、天皇家の日本支配は必ずしも甘受せられてゐなかつた。
大化改新は、先づ蘇我一族を亡すことから始められたが、その主たる目的は、天皇家の日本支配の確立、君臣の分の確立といふことだ。口分田とか租庸調の制度は、土地私有の厳禁、つまり天皇家の日本支配の結果であつて、目的ではない。
蘇我氏を支持する帰化人の集団は飛鳥の人口の大半を占め、当時の文化の全て、手工業の技術と富力をもち、その勢力は強大であつた。真向からこれを亡す手段がないので、天智天皇は皇居を近江に移してこの勢力の自然の消滅を狙つたが、この勢力の援助なしには新都の経営も自由ではない。その弟の後の天武天皇が兄の天皇の憎しみを怖れて吉野に逃げたのも、この勢力の支持を当にしてのことであつた。
持統天皇は藤原遷都によつてこの勢力との絶縁を志して果し得ず、奈良の遷都によつて始めて絶縁に成功した。天皇家の日本支配がこのときに確立したので、古事記や書紀の編纂がこの時期に行はれたのも、天皇家の日本支配を正統づける文献が必要であつた為であり、その必然の修史事業の企てによつても、この時期に於ける天皇家の地盤の確立を推定し得るであらう。
爾来、天平の盛時、諸国に国分寺がたち、聖武天皇が大仏の鋳造に勅して、天下の富をたもつ者は朕《ちん》なり、天下の勢力をたもつ者も朕なり、と堂々宣言のある日まで、日本は主として女帝によつて孜々《しし》として経営がつゞけられてゐた。天皇家の日本支配は女帝によつてその意志が持続せられた。聖武天皇はかゝる女帝の経営の結実であり精霊であり、そして更にその結実は孝謙天皇の血液へ流れる。史家は当時をさして、仏教政治といふ。否、表に於ては、さうである。内実に於て、その支配者の血液の息吹に於て、まさしく、女性政治であつた。
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天智天皇は当然継承すべき帝位に即かず、皇極、孝徳、斉明、三帝のもとに皇太子として暗躍した。斉明は皇極の重祚《ちようそ》であ
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