、上野光子が上京して、大鹿売りこみのカクサクをしていることも言い添えた。
「なアに。専売新聞や、桜映画にしたところで、新人投手に三百万だすかい。いいところ、百万だ。ただの五十万でも、ほかの選手から文句がでるだろうぜ」
「しかし、契約の条件によりけりですよ」
「だからさ。最も有利な条件で百万どまりにきまッとる」
「いや、専売新聞に欲しいのは投手です。これは油断ができません。我々に欲しいのも第一に投手。次に三番四番が足りない。もしラッキーストライクに大鹿が加入して、三番にピースの国府一塁手、四番にキャメルの桃山外野手がとれたら、攻守ともに百万ドル。優勝絶対です」
「それは優勝絶対にきまっとる。国府と桃山がとれるかい」
「必ず、とってみせます。百万ずつで、とってみせます。それを条件に、大鹿に三百万、やって下さい。私もスカウトをやるからには、絶対とれないという大鹿をとりたいのですよ。上野光子に負けたくありませんな」
「まア、君、国府と桃山をとってからの話にしようじゃないか。百万ずつで二人がとれたら、大鹿のことも考えてみよう。三人そろえば、優勝絶対だから」
「じゃ、当ってみます。二人がウンと云ったら、大鹿はキットですね」
「まア、二人のウンを先にきかせてくれ」
「よろしい。三日あとに吉報もってきます」
煙山はただちに再び西下した。
国府と桃山に当ってみると、百万円ならOKだという。煙山はよろこんだ。三日のうちに金をそろえてくるから、ほかの契約は断ってくれと念を押して、安心して、大鹿を訪ねた。
「ヤア、どうも返事がおくれて失礼した。実はコレコレで、国府と桃山の参加を条件に、その時は君にも三百万出そうと云う。どうやら国府と桃山には成功したから、よろこんでくれ。すぐ取って返して、三百万そろえてくるから」
「そうですか。実はちょッと、間の悪いことができたんです」
「どんなことが」
「実は岩矢天狗に二十日に三百万払うという約束をむすんだのです。二十日がせまっているのに、煙山さんから返事はこず、せっぱつまった気持のところへ、昨日、上野光子とレンラクがついたものですから、専売新聞か桜映画へたのんでくれ、どんな不利な条件でも、三百万になればいい、とたのんだのです」
「それは、まずいな。上野光子の返事は?」
「十九日の正午に料理屋で会うことになっています。きっと、成功してみせる、と云いきったのです」
「それは困ったな。今日は十七日だね。十八日朝ついて、夜行で発って、十九日朝ついて、上野光子をだしぬくことはできるが、そうまでする必要はあるまい。私の方は確実なのだ。夜汽車で金を運ぶのは危険だから、十九日の朝たって夕方つく。私の方はハッキリしているのだから、上野光子がどうあろうとも、キッパリ拒絶してくれないか。さもなければ、上野をスッポカして会わないようにしてもらいたい」
「ハア。確実なら、そうします」
「むろん、確実だ。二十日に岩矢天狗に金を払うのは、どこだ」
「岩矢天狗が京都にくることになっています。葉子さんも、十九日の夜、こッちへ着くことになっています」
「そうかい。それなら、十九日中に間に合えばいいわけだ。かならず、約束を守るから、君も守ってくれ。暁葉子のためにも、わが社第一と考えてくれよ」
「ハ。わかりました」
そこで煙山は、安心して、東京へ戻った。敷島社長に以上の話をすると、上野光子の話がそこまで出来かかっている以上、ひくわけにはいかない。
「よろしい。約束通り、大鹿をとろう。今日の夕方までに五百万そろえておくよ」
「そうですか。カバンを持って、うけとりに来ますよ」
「君は今夜たつのかい」
「いえ、明朝たちます。夜汽車に金を運ぶのは危険ですし、上野光子にぶつかっても、まずいでしょう。朝の急行の一番早いの、七時三十分にたちます。九時発の特急ツバメが、おそく発車して早くアチラへ着くのですが、特急は知った顔に会いますから、わざと七時三十分にたちます」
「よかろう」
夕方まで時間があるので、小糸ミノリの家を訪ねて、暁葉子に会った。三百万円の契約がととのったムネを知らせると、安心して、涙ぐんでしまった。
「君も明日、京都へ行くそうじゃないか」
「ええ」
「あんまり、目立たないようにしてくれよ。何時の汽車だね」
「午後一時、東京発。京都へは夜の十一時ちかくに着くはずなんです。岩矢と約束があるのです。汽車のなかで岩矢と二人だけの話をつけるつもりなのです」
「それは大鹿君が知っているのかね」
「いいえ」
葉子は、苦しそうに、うつむいた。
「ずいぶん危険な話じゃないか。私が京都駅へ出迎えてあげようか」
「いいえ、危険はありません。身をまもる方法を知っていますから」
「そうかね。まア、気をつけてくれたまえ」
午後三時半ごろ、煙山は五百万円うけとった。千円札で三百八十万。百円札で百二十万。百円札が大変だ。トランク二つの荷物になってしまった。
ところが、その夜の六時ごろである。
専売新聞の社会部の電話がなる。居合した羅宇木介がとりあげると、ききなれない男の声で、
「専売新聞ですね。ハア、あのね。野球通の人にたのまれたのですが、明朝七時三十分発博多行急行にラッキーストライクの煙山スカウトがのるから、尾行してみたまえ、という話ですよ。サヨナラ」
ガチャリときれた。
暁葉子にかかりきって大鹿とのロマンス、大鹿の居所などを追っかけていた木介は、ギョッとして、金口《きんくち》副部長をふりかえり、
「変な電話ですぜ。これこれです」
「ふウン。部長に知らせろ」
部長の自宅へ電話で指令を乞うと、
「実はな。大鹿のことでは、上野光子が引ッこぬきの話をもちこんでるんだ。上野光子は今夜の夜行で、京都へ行く筈だが、この引ッこぬきは金額の上で折合わなかったから、失敗するかも知れん。煙山がでかけるとすれば、これも大鹿ひきぬきだ。こッちが引ッこぬきに失敗したら、暁葉子のロマンスを素ッぱぬいてやれ。煙山をつけでみろ。そして、大鹿の愛の巣を突きとめておけ。煙山をつけて行けば、自然にわかるだろう。わかったな」
「ハ」
そこで木介は伝票をもらって、出張の用意をととのえた。
その二 一月十九日正午――一時
とある料亭の別室で、向い合って話しているのは、大鹿と上野光子である。
「桜映画じゃ、一流投手二三人引ッこぬきに成功したらしいのよ。それで、大鹿さんのこと、うけつけてくれないの。それで専売新聞にかけあったんだけど、どうしても、百万までね。まア、それが、ホントのところ、あなたのギリギリよ」
大鹿はむしろそれでホッとした顔だ。
「いえ、もう、その話は、いいですよ。どうも、お世話さまでした」
「アラ。アッサリしてるわね。やっぱり、ラッキーストライクがいいのね。暁葉子さんのいるところが」
「いえ、そんな話はありませんよ」
「ウソ仰有い。今夜、煙山クンがこッちへ来るでしょう」
「そんな話、知らないですね」
「フン」光子の眉間にピリピリ癇癪が走った。
「あなた、専売新聞のネービーカット軍に移籍しなさい。お約束の三百万、だします。専売から、百万。私から、二百万。私の全財産ですわ。どう?」
「もう、お金の必要がなくなったんです」
「なに云ってんのさ。なぜ、あなたが三百万円欲しかったか、私はチャンと突きとめてますよ。誰から、きいたと思う? 岩矢天狗氏よ。あす二十日でしょう。彼氏、京都へ、暁葉子の手切金、うけとりに来る筈よ。三百万、払える?」
「えゝ、ま、なんとかなります」
「甘チャンね。煙山クン、お金なんか、持ってきやしないのよ。持ってくるのは百万だけよ。それで、なんとかなるの?」
そこは大鹿の急所だ。なんといっても、三百万という大金は、手にとってみないうちは、煙をつかむようで、見当がつかない。思わず言葉を失って、うなだれてしまった。
「私は煙山クンに会ったわよ。百万でごまかすツモリなの。あとは暁葉子の義理でひきずる算段よ。卑怯じゃないの。あなた、それでもいいの」
光子の目がランランと火をふいている。
「たとえ岩矢天狗のようなヨタモノ相手でも、人の奥さんとネンゴロになって、損害バイショウが払えなかったら、男がすたるわよ。野球選手の恥サラシじゃないの。私が二百万だしますから、岩矢天狗に、札束叩きつけてやってよ」
「あなたから、お金をもらうイワレはありませんよ」
「イワレはなくったって、お金が払えなかったら、どうするのよ」
「なんとかします。ボクは覚悟しました」
「なんの覚悟よ」
大鹿は男らしく、顔に決意をみなぎらした。
「そのときは、たぶん、死にますよ」
「バカね」
光子は苦笑したが、やがて顔色をやわらげた。
「未来の世界的大投手が、そんなことで死ぬなんて、ダラシないことね。私の言うこと、ききなさいな。私からお金をもらうイワレがないって云うけど、私と結婚しましょうよ」
大鹿はビックリして目をあげた。
「おどろくことないでしょう。去年の夏は、たのしかっわね。私、あなたの初登板の時から、日本一の大物だと思ったわ。ピースの豪球左腕投手|一服《いっぷく》クンが嫉いてね。なぜ、あんな小僧を相手にするんだ。なんて、つめよるのよ。小僧なんて、何云うのよ。あんたの三振記録なんて、小僧クンにたちまち破られるからって、言ってやったのよ。一服クン、去年の暮ごろから、しつこく私にプロポーズしてるのよ。今日も、街で出会ったの。一服クン、京都に住んでるでしょう。でね、すぐ結婚しよう、泊りに行こうなんて云うから、ハッキリ云ってやったの。私は二三日中に、大鹿さんと結婚するんですって。一服クン、青くなって、怒ったわよ」
大鹿はなんとも不快な気持がこみあげてきたが、しかし、この先どうしたらいいのか、思えば、クラヤミがあるだけだ。胸がつぶれる悲しさである。
「なにを、ふさいでいるのよ。ほがらかに、ハッキリなさいな。私と結婚するのよ。そして、ネービーカットへ移籍するのよ。煙山クンや、ラッキーストライクの卑劣さを嘲笑ってやりましょうよ。私、あなたのために、二百万円失うぐらい、なんとも思っていないわよ」
大鹿は冷めたく目をあげて、
「あなたと結婚するんでしたら、こんなに骨身をけずる思いをして、三百万円で苦労しやしませんよ」
光子の顔色が変った。
「なんですって?」
「ボクは暁葉子さんと結婚したいのです。そのために、こんなに苦しい思いをしているのです」
「フン。結婚できないわよ。岩矢天狗に三百万円、払えないもの」
「その時の覚悟はきめていますよ。どなたのお世話にもなりません。自分一人で解決します。色々と面倒なことお願いして、すみませんでした。失礼します」
「お待ち!」
「いえ、ボクの気持をみださないで下さい」
クルリとふりむくと、ひきとめる手をふりはらって、大鹿は、立ち去ってしまった。光子が追って出た時は、もう大鹿の姿はなかった。
光子はジダンダふんだ。どうしても、大鹿の住所を突きとめねばならない。突きとめてみせる。そして、復讐してやる。ラッキーストライクへの移籍話をぶちこわして、三百万円をフイにさせ、岩矢天狗への支払いを妨害してやる。そして、自分に縋らざるを得ないようにしてみせる。天下の女スカウト上野光子は誰にも負けない女なのだ。
何時に着くかは知れないが、今夜中には煙山が来る筈だ。なぜなら、明朝までに、三百万の契約金を大鹿に手渡す必要があるだろうから。彼女は煙山を京都駅に張りこんでやろうかと思った。しかし、張りこんで、後をつけたにしても、その時はもう彼らの商談の終りだ。
光子が考えこんで歩いていると、一服投手にパッタリあった。
「さっきは、よくも、捨てゼリフを残して逃げたな。ヤイ、お光」
「なによ。天下の往来で」
「フン。どこだって、かまうもんか。キサマ、ほんとに大鹿と結婚するのか」
「フフ」
「オイ。もし、結婚するなら、キサマか、大鹿か、どっちか一方、殺してやる」
「すごいわね」
「なア、オイ、ウソだと云え」
「さア、どうだか。今のところ、ハッキリしないから。二三日うちに分るわよ。大鹿さんと
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