元々大鹿の行方に最も執着をもっているのだから、隠れ家が分ると、記者の本領を発揮して、さっそく乗りこんで、ロマンスの一件など根掘り葉掘り訊問するだろうからね。ところが犯行の時間は、午後十一時三十分ぐらいまでしか許されていない。なぜなら、葉子と岩矢天狗が十時四十七分には京都について、だいたい十一時半前後には嵐山まで来るからだ。君らにネバられては、チャンスを失ってしまうのだ。そこで、一足先に、君たちにかくれて金を渡して契約書をとっておかねばならないので、特急ツバメに乗りかえて、一時間四十分の差を利用して、嵐山の大鹿の隠れ家まで往復してきた。そして、それをゴマカス方法としては、大鹿が米原まで出迎えて、車中で契約書を交したという計略を用意しておいたのだ。ところがさ。あいにく契約書の署名がハッキリした楷書でね、停車中でなければ決して書けない書体だったのさ。米原に停車中には、先ず、署名の時間はない。なぜなら、大鹿が煙山を探す時間、一通りの事情を説明し聴取する時間が必要な筈で、ノッケから契約書を突きだすことは有り得ないからだ。ところがだね。米原を出発すると、あとは京都までノンストップなんだよ。私はこれに気がついた時、思わず笑ったね。快心の笑《えみ》という奴さ、そして、ほぼ事件の全貌をとくことができた。第二ヒントは、上野光子が与えてくれたのだが、光子がアパートをアジトにしているように、煙山にもアジトがあるに相違ないということだ。すると第三ヒントの謎がとける。血だらけの着物がそのアジトに隠されているのだ。奪われた三百万円もアジトにあるのだ。散歩のフリして旅館から出た煙山は先ずアジトへ走り、衣服を着かえて、さらに嵐山へ急行した。着代えの衣類も持って行ったかも知れぬ。アトリエへつくや、出迎えた大鹿が、ふりむくところを、いきなり一刺し、メッタヤタラに突き刺して、それから、顔や手の血を洗い、金を奪い、衣服も着代えて、アジトへ戻った。そこで、更に、元の服装に着代えて、かねて買っておいたミヤゲの品々を持って、途中で新京極で一パイのんで、旅館へ戻ったのだ。取調べがすみ、容疑をまぬがれてから、三百万円と血だらけの衣類を、例のカラッポのカバンにつめて、東京へ持ち帰って処分するツモリだったのだろうよ」
 彼がこう説明を終ったとき、車はウズマサのアジトについた。そこはアパートだった。そしてその主のいない二室から、血だらけの衣類と、三百万円と、兇器が、すでに発見されて、彼らの到着を待っていたのである。居古井警部はニッコリ一笑して、予期した品々を指してみせ、そして二人の肩をたたいた。
「これが、君たちから、ヒントをもらった御礼だよ。ほかの新聞記者がこないうちに、すぐ支局へ走って、東京の本社へ電話したまえ。そして、例の尾行記を大至急、書きあげることさ。じゃア、サヨナラ」
 彼はニヤリと笑って二人の耳に口をよせ、
「新聞社の金一封と、私の警察の金一封と、どちらが重いかな。ワッハッハ」
 笑いながら、二人を部屋から押しだして、サヨナラ、とささやいた。



底本:「坂口安吾全集 09」筑摩書房
   1998(平成10)年10月20日初版第1刷発行
底本の親本:「講談倶楽部 第二巻第五号」
   1950(昭和25)年4月10日発行
初出:「講談倶楽部 第二巻第五号」
   1950(昭和25)年4月10日発行
※底本は表題に「投手《ピッチャー》殺人事件」とルビをふっています。
入力:tatsuki
校正:花田泰治郎
2006年4月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全15ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング