いかな」
「まったく、妙ですな。尾行の様子をくわしく話して下さい」
 そこで木介が得たりとばかり、ルル説明に及ぶ。
 そこへ煙山が連れられてきたので、二人と入れ換ったが、煙山は中折帽に白いマフラー、二つのカバンをぶらさげて現れた。それを見ると、木介が、すれ違いざま、頓狂な叫びをあげた。
「アレレ。この人は手品使いかな。昨日は鳥打帽に黒っぽいマフラーだったぜ」
 煙山はギロッと木介を睨みつけて、居古井警部の前に立った。すすめられて椅子にかけると、彼はクスリと笑って、カバンをあけ、
「ホレ。鳥打と黒っぽいマフラーはここにあります。私らはなるべく人目を避けねばならぬ商売だから、いろいろ要心しますな」
「なるほど。上野光子さんも、そう申しておられましたよ」
「彼も女子《おなご》ながら、相当、やります」
「あなたは昨日、契約金と契約書を持って、上方《かみがた》へ乗りこんでいらしたのですね」
「その通りです」
「大鹿選手と契約を結ばれたのは、何時ごろですか」
「イヤ。それが奇妙なのですよ。汽車が米原《まいばら》へつくと、大鹿が乗りこんできたのです。どうして、この汽車に乗ってることが分ったか、ときいてみますと、そうと知ってたわけではないが、とてもジッと京都に待ってられない不安におそわれ、フラフラと米原まで、急行を迎えに出たというんですね。米原京都間は急行はノンストップです。それで、上野光子とのイキサツなども車中で話してくれましたが、イヤ、心配するな、安心しろ、というわけで、汽車の中で、契約書を交して、三百万渡してやりました。新しい千円札は、こういう時に便利で、三百万といったって、あっちこっちのポケットへねじこめますね」
「ハテナ。その契約書は、墨で署名してありましたが」
「その通りです、ごらんなさい」
 煙山はカバンをあけて、矢立《やたて》をとりだして示した。
「野球の選手なんてものは、スズリだの毛筆だの、まア、持ってないのが多いもんです。ですから、私は、ちゃんとブラ下げて歩いています」
「さすがに細心なものですな。ところで、あなたは、東京から尾行した者があることを御存知でしたか」
「いいえ、それは知りませんでした。しかし、私の職業柄、常に尾行する者あるを予期して、行動しております」
「なるほど、それで分りました。ところで、あなたの東京発の時間を、誰か知っていたでしょうか」
「そうですなア。社内では、マア、社長。それから、誰でしょう。そう、たくさんの人が、知ってる筈はありません。たいがいなら、九時の特急と思うでしょう。一時間半おそく出発して、京都へつくのが一時間四十分ぐらい早いのですから。しかし、特急は知った顔に会うことが多いので、私はめったに利用しません」
「実はですな。御出発の前夜、専売新聞へ、あなたの出発時刻を知らせた電話があったのです。むろん無名の人物からです。さッき奇声を発したのが、尾行の記者ですよ」
「ハハア。それは妙ですなア。私の出発時刻をね。誰だろう。暁葉子は知っていたかも知れんが、そんなことをする筈はない」
「あなたの関西旅行の用向きはもう終ったのですか」
「その通りです。妙なことで、大鹿との契約が早くすんだので、京都へ泊らなくとも良かったのですが、旅館の予約をとっておきましたから、ゆっくり休憩のツモリでな。この十日間に、三度も関西を往復したのですから」
「京都では、いつも、あの宿ですか」
「いいえ。今度の三回だけです。私は、きまった宿にはメッタに泊りません。それに、京都よりも、大阪、神戸、南海沿線などの方に用向きが多いのですよ」
「宿へついてから、散歩されたそうですが」
「そうです。ミヤゲモノを買いにでました。そんなことは殆どしないタチですし、するヒマもないのですが、この日は久しぶりでユックリする気持がうごいて、ミヤゲなども買う気持になったんですな。最後に、こんなものを買いました。京紅、匂袋、女物の扇子、みんな女のミヤゲです。アハハ」
 煙山はトランクをあけて、ミヤゲの品々を見せた。同じ品をいくつも買ってる。ついでに二ツのトランクの中を見せてもらったが、変装用具と洗面具のほかは何もない。
「いつごろ散歩からお帰りでしたか」
「そうですなア、四条から三条、それから祇園の方までブラブラと、あれこれ見て廻って、又、新京極へ戻って、ちょッと寝酒をのんで、宿へ帰ったのは十二時半ごろでしたかなア。一時ちかかったかも知れません」
「どうも、御苦労さまでした。もう、ちょッと、みんなの取調べの目鼻がつくまで、待っていて下さい」
「イヤ、どうも、せっかく手に入れた選手を殺して、ウンザリしましたよ。せっかくの苦労も、水の泡です」煙山は苦笑して、去った。
 居古井警部は葉子をよんで、煙山の出発の時刻を知っていたか訊いたが、朝出発とだけ知っていた
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