自分の悪質さをてんで自覚してをらぬのだ。農村の諸方に現れる類型的な民事裁判の例、証文なしで借りておいてその親友を裏切つたり、畑の垣根を少しづつづらしたり、彼等は如何に親友や隣人を裏切つてゐるか。彼等は人を信頼しないが、彼等自身が同様に信頼すべからざる性質をもち、自分の質の悪さを自覚せず、他の美しさを知らないだけに始末が悪い。
 すべてその因由は視野の狭さ、教養の低さ、文化の低さであり、排他的な農村の性格がもたらした悲しむべき畸形であつて、進歩的な性格と文化を把握したならば、彼等は過去に於てさうであつた如く、未来に於ても日本を導く最も強力な原動力たるべき人なのである。現在すでにさうではないが。現在日本の農村に高い徳義があつたなら、それが日本の徳義を決定するだけの中枢的な役割をしめてゐる。だが、彼らの口からもれる呟きはたゞ「だまされた」といふことだけで、その呟きによつて自己の悪質な行為を合理化しようとしてゐるだけだ。そして彼等は歴史の流れが彼等に与へた最も進歩的な役割を抛棄してゐるのである。農民がかゝる悪質な性格を残したまゝ新日本の中枢を占めるに至つたなら、日本の悲劇これより大なるはない。
 公式的な左翼主義者は人間あるひは人性に就て目をつぶり、農村や工場の搾取といふ一点だけを強調し、搾取のために人間まで歪められたのであり、搾取さへなくなれば人間の楽園が訪れるやうなことを言ふ。かかる軽率な論断は罪悪的なものであり、政治の改革によつて搾取は一朝にして取り除くことができるけれど人間の殻はさうはいかぬ。人間には数千年の歴史が複雑なヒダをつくつてゐるからである。
 軍国日本が今日の敗北をまねいたのは軍人に文化がなかつたからで、彼らに文化があつたなら、第一戦争などはしなかつたらう。国民儀礼といふあの馬鹿々々しい行事を発明し、お母さんと叫んで死ぬ兵隊に天皇陛下万歳と叫ばせようといふのであるが、彼等は日本文化を二千何百年前の神代時代の原始へ退歩させてゐた。けれども公式的な左翼主義者の文化に対する考へも、大体似たやうなものである。彼等は農村や工場の現在の教養を文化の温床と断定し、それが便利であるために、他の真実な困難な道をごまかしてゐる。かうして、又、新しい世代が偽瞞によつて始まらうとしてゐるのである。
 文化は政治のまきぞへを食ふべき性質のものではない。否、文化はその独自の立場から政
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