い。
だから又、青春とはひどく疲れているものであり、えゝ、どうにとなれ、ひどくステバチな気持になり易いものである。私自身が幾度ステバチになったか知れず、そんな時に魂の高さをもった女友達があることが、起き上る力になってくれるものであった。
★
然しそういう若い男女の交際というものは極めて夢幻的なもので、男も女も相手をその有るまゝに見ているわけではなく、自分の理想を投影して眺めており、したがって相手が自分に投影している理想の男や女に自分もなろうとするハタラキもあるけれども、他面にはひどく疲れるものである。
それを恋愛とよぶなら、青春の恋愛は超現実的な夢幻世界で、これもやっぱり本能に属する世界であるにすぎず、その夢はやがて破れ、冷めたい現実が、そのありのまゝの冷めたさでノッピキならぬ姿をつきつけてくるに極っている。
こういう夢幻世界が終ったところから、人生が、生活がはじまってくることを知らなければならない。冷酷な現実ありのまゝのものが人生で、それを土台にした上で、我々の如何に生くべきかという本当の設計が始まることゝなるのである。
若いうちの男女交際、ひいては
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