ムの騒ぎに睨みをくれて、やがて車は人をブラ下げてひきずりつつ闇へ消え去る。これは私が東京新聞の記者とともに目撃した事実なのである。やがてキャーッという悲鳴をきくや、私たちは見るに堪えず、地下道さして、期せずして一目散に逃げだした。あとで分かったが、キャーッという悲鳴は、ひきずられつつある人の悲鳴ではなく、それを認めた若い婦人の悲鳴であったそうな。あとで思ったが、絹をさくようなキャーッという悲鳴、物の本にはザラにあって、私は現実にはじめてきいたのであるが、人が白刃の下でまさに殺される時に、覚らずしてこんな悲鳴をおのずと発するに相違ない。
 二合五勺の、そのまた二十数日の欠配。これを忠実に守って死んだ判事があったが、生き得べからざる現実の中にわれわれは生きている。ヤミをしなければ生きられぬ。タケノコ生活ができなければ、身を売り、ヤミをやり、盗みを働くほかに手がなかろう。さもなければ、判事のごとく死する以外に道はない。
 つまりわれわれの四囲の現実というものは、戦争と同じように荒廃しきっているのである。戦争と同じように、と私はいったが、私は戦争そのものを知らないのだ。ただ、戦争中における私の
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