たが、旅館へ縁づいて、そこで色々と泊り客の男女関係を見学して、悟りをひらいていたのである。この旅館は主として阪東三十三ヶ所お大師詣での団体を扱うのであるが、この団体は六十ぐらいの婆サンが主で、導師につれられて、旅館で酒宴をひらいてランチキ騒ぎをやるのである。私が、この町を去って後、この団体のランチキ騒ぎの最中に、二階がぬけて墜落し、何人かの即死者がでたような出来事があった。ずいぶん頑堅らしい田舎づくりの建物であったが、よくまア二階がぬけ落ちたものだ、と私は不思議な思いであった。建物によることでもあるが、あの団体のドンチャン騒ぎというものは、中学生の団体旅行などの比ではない。本当のバカ騒ぎでありアゲクが色々なことゝなる。伊勢甚のオカミサンが六十の婆サンを警戒したのは、営業上の悟りからきたところで、私の品性を疑ったワケではなかったらしい。けれども、いきなりこう言われると、人間はひがむものである。
翌日オカミサンは、さる病院を世話してくれた。ここは当主が死んで、もう病院も休業して久しい大建築物であった。
「未亡人と、年ごろの美しいお嬢さんもいますよ」
と言った。つまり、悟りをひらいているのである。六十の婆サンと変なことになるよりは、年頃の美しい娘と変なことになる方がよろしいという悟りであった。こうまで親切にされるのも妙なもので、四十四五のオカミサンが営業上の環境から自然と悟りをひらいて人生の奥義をきわめているというのは、あんまり気持のよいものではない。だいたい女というものは不惑をすぎるころから、自然に一流の悟りをひらくようである。こういう達人は薄気味が悪いものだ。然し、このオカミサンは、数ある達人のうちでも一流の使い手で、女傑という感じであった。
伊勢甚の倅ぐらい、郷土愛に燃えている子供は珍らしい。自分の生れた町を日本一の美しい町だと思っているのである。美しいという意味は、素朴に風景としての意味である。自分の町を中心に利根川べりの四辺を国立公園にしようという大変な考えを持っていた。その意見を論文に書いて私のところへ見せに来て、私も挨拶に困った。三十|米《メートル》ぐらいの丘はあるけれども、利根川と土堤と畑があるばかりで、これを日本一の風景だと思いこんでいるのも、自分の母を日本一の母と思いこんでいることゝ同じだけの意味で、是非を論議すべき筋合いのものではない。仕方がな
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