、旧態依然として戦争のさなかに「踊子」だの「来訪者」だの「問はず語り」を書いてゐた荷風が偉いといふことにもならない。人間が生きてゐるのは現実の中に生きてゐることなので、常に現実に重なりあひ見究めて生きてゐる故、作家自体の足跡がおのづから時代の風俗を語つてゐるだけのこと、戦争のさなかに戦争を見つめず、「踊子」や「来訪者」や「問はず語り」を書いてゐた荷風は、要するに、小説の趣味家であつて、文学者ではなかつたのだ。
作家はいくらでも変貌するがよい。生長は常に変化だ。けれども外部だけの変貌は真実の変貌ではない。かゝる外部の変貌を、要するに便乗的な変貌と称するのである。
だが、いつたいこの戦争で、真実、内部からの変貌をとげた作家があつたであらうか。私の知る限りでは、たゞ一人、小林秀雄があるだけだ。彼は別段、戦争に協力するやうな一行の煽動的な文章も書いてはゐない。たゞ彼は、戦争の跫音《あしおと》と共に、日本的な諦観へぐんぐん落ちこみ、沈んで行つた。人々は、或ひは小林自身も、これはたゞ、彼の自然の歩みであつたと思つてゐるかも知れぬ。私はさうは思はない。戦争がなければ、彼はかうはならなかつた。かう
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