ある。狂人の全てが斯うではあるまいが、これが狂人なら狂人は恐るべき存在だと私は思つた。
 狂人のこの驚くべき鋭敏さには彼の父親が気付いてゐた。なぜなら、長島の父は、いはば長島の一生恐るべきライバルの一人であつて、彼の精神史は常に父を一人の敵として育つてゐたからだらうと思ふ。長島の父は政治家であるが、彼と性格が相似てゐる上に、腹と腹で睨み合つては病弱な長島のとうてい太刀打の出来難い線の太さと押しの強さがあるやうに考へられる。恐らく彼は父親に精神的に圧迫され通してゐたのだらうと思ふ。彼が危篤の病床で父親に叫んだ言葉は、「パパ俺は偉いのだ」といふ一言であつた。ところがパパは一言も答へなかつた。答へなかつたにも拘らず、彼は最後まで子供は決して気が狂つてはゐないと断言してゐた。ちなみに、彼の家族は皆彼は発狂したと信じてゐたのである。さうして、さう考へるのは決して無理ではなかつたのである。
 父対長島の場合のやうに、身を以て絶叫してゐるにも拘らず返答がないといふこと、これは同時に彼対友人、いな、彼対人生の関係でもあつた。併《しか》し人々は故意に彼を苦しめるために返答しなかつたわけではないだらうと思
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