私の名を呼ぶので――その口へ耳を寄せる時、殆んど死臭のやうな堪えがたい悪臭の漂ふのには無慙な感をいだかされた。死んでからの顔の方がはるかに安らかであつたのである。ポオの小説に The facts in the case of Mr. Valdemar といふ物語がある。ある男が、催眠術によつて人間の生命を保ちえないものかと考へて、瀕死の病人に催眠術をかける。丁度死んだと思ふ頃、呼びさまして話しかけてみると、自分はもう死んでゐると病人は言ふ、さうして断末魔よりも深い苦痛の声をもつて苦しみを訴へるのである。それからの連日二十四時間毎に呼びさまして話しかけると、その表情その声は一日は一日に凄惨を極め、遂ひに術者も見るに堪えがたい思ひとなつて術をとくのであるが、とたん肉体は忽然として消え失せ、世に堪えがたい悪臭を放つところの液体となつて床板の上に縮んでしまふ。――大体、こんな筋の話であつたと記憶してゐるが、私は長島の危篤の病床で、この物語を思ひ出してゐたのである。一つには長島もこの物語を読んでゐたからであつて、ある日私にそのことを物語つた記憶が残つてゐたからであらう。そのことと関係はないが、彼
前へ 次へ
全12ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング