親しむよりも葛巻義敏、本多信、若園清太郎のどれかを選ぶ方がいいのだと。その度に、彼はさらに私に激しく反抗するかのやうな、蒼白な、表情のない顔をして決して一言も答へはしなかつた。
 断つておくが、長島と私との間には世間的なライバルとか、恋敵とかいふ関係は完全になかつた。のみならず、さういふ世間的な関係はたとひ有つたにしても悲劇的な確執を生みがたい奇妙な和合と温かさがあつた。全てはそれよりもより悲惨な性格の中にあつたのである。のみならず、悲劇的といふ言葉はただ彼にのみ当てはまるのであつて、私自身は事彼に関する限り永遠に帝王の如く完き無神経をもつに止まるといふ宿命のもとにあつたのである。
 彼の宿命的な不幸は、更に彼の病弱の中にもあつた。春の訪れる度に狂的な精神状態になるといふこのことである。つまり、彼の感受性はとぎすましたやうに鋭敏になるにも拘らず、逆に表現の能力を阻碍《そがい》されるといふ悲劇的な一事である。これは生理的に如何ともなしがたい事柄であつたのだらう。
 彼は恐ろしく鋭敏な、頭のいい男であつた。ことに語学には天才であつた。私と一緒にラテン語を習ひだしたのであるが、私が辞書をひくにも苦労してゐる頃に、彼は已に原書を相当楽に読みこなしてゐた。その当時は私も語学には全力を打ち込んでゐた頃で、別に怠けてもゐなかつたのであるが。
 さりとて、彼はディレッタントと呼ぶべき人間でもない。彼の生活はディレッタント風の女性的なものではなく、あまりに凄惨で生ま生ましかつた。併し、ディレッタント式の宿命的な眼高手低は、生理的にどうすることもできなかつたのである。
 晩年後は株に手を出してゐた。父親の影響で――或ひは寧ろ父親にすすめられて、この方面に関係してゐたらしいが、彼はその方面では立派に黒人《くろうと》の素質があつたし、くろうと以上の或る神秘的な能力さへあつたらしい。さうして、女から女へと盛んに惚れてゐたさうである。このことは彼の妹さんから最近きかされて吃驚《びっくり》した話であつて、実のところ、私は彼のさういふ生活は想像してみたこともなかつた。なぜなら、彼は私等の前では女の話は全くしなかつたからだし、それらしいどんな素振りも見せなかつたからである。彼が私等の前で被つてゐた仮面に就ては最も簡単な解釈で片附けることも出来さうであるが、私は今さう簡単に片づけることができない気持でゐる。彼のポーズは一見自明のやうに見えて、実は殆んど現実のあらゆる解釈を超越した不可解な彼の宿命に結びついてゐるとしか考へられないのである。さうして、これは彼の宿命であるから今更如何とも仕方のない事柄であつたらうと思ふのだが、もしも彼が私等の前で女に惚れた話が平気で言へたなら、彼はまだこの年齢でここまで追ひつめられずに済んだのだらうと思はれるのである。尤も、このことは最後に鉄の断言をしてもいいが、彼は本気で女に惚れきれる男ではなかつたのだ。さうして、時々泣きぬれたりしたが、決して本気で泣ききれたり笑ひきれたりする男ではなかつた。常に自分自身に舌を出してゐるところの、も一人の自分を感じつづけてゐるところの宿命的な孤独人であつた。世に最も悲しく、最も切ないところの宿命の孤独人であつたのである。彼の死が不幸であるか幸福であるかは、今私にはとても断定はできない。



底本:「坂口安吾全集 01」筑摩書房
   1999(平成11)年5月20日初版第1刷発行
底本の親本:「紀元 第二巻第二号」
   1934(昭和9)年2月1日発行
初出:「紀元 第二巻第二号」
   1934(昭和9)年2月1日発行
※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。
入力:tatsuki
校正:伊藤時也
2010年5月19日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全3ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング