ゐるのですよ。貴方の場合にしたつて、今日は貴方に気があります。さうしてあいつはあの岩角にまたがり、異体《えたい》の知れぬ悦楽の亢奮に酔ひながら、石をだいて貴方の通るのを待ちかまえてゐたのです。殺意だとか罪悪だとかそんなものぢやないんです。子供がパチンコで豚をねらふよりよつぽど無邪気で、罪悪の内省がないのですよ。いぢらしい女です。正体はただそれだけでつきるのですが――」
禅僧の語気には、旅人が呆気にとられてしまふほど熱がこもつてきたのであつた。さうしてそれからどうなつたか、然し旅人の話は村の噂に残つてゐない。
お綱の逸話では、煙草工場の女工カルメン組打の一場景に彷彿としたこんな話もあるのだ。
時は盆踊りの季節。ひと月おくれの八月の行事で、夏の短い雪国では言ふまでもなく凋落の季節、本能の年の最後の饗宴でもある。盆踊りは山の頂きのぶな[#「ぶな」に傍点]に囲まれた神社の境内で、お綱も踊りに狂つてゐた。その日のホセは道路工事の土方で、居酒屋で酒をのみながら、店の老婆を走らしてお綱を迎ひにやつたが、お綱は踊りに狂つてゐて耳をかさうともしなかつた。
さうかうするうち踊りの列に異変が起つた
前へ
次へ
全21ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング