の先生があるが、この人達も評判がわるい。男女教員の風儀だとか吝嗇とか不勤勉といふことが村人の眼にあまるのである。ところがさういふ村人は森の小獣と同じやうに野合にふけつてゐるのである。盆踊りを季節の絶頂にした本能の走るがままの夏期のたわむれ、丈余の雪に青春の足跡をしるしてゐる夜這ひ、村人達の生活から将又《はたまた》思ひ出からそれをとりのぞいたら生々とした何が残らう! 半年村をとざしてしまふ深雪だけでも彼等の勤労の生活は南方の半分になるわけだが、山々を段々に切りひらいて清水を満した水田と暗澹たる気候で米の実りの悪いことは改めて言ふまでもないことである。豊穣といふ感じが、気候や風景に就ても同断であるが、その生活に就ても全く見当らないのである。
禅僧は同じ村のお綱といふ若い農婦に惚れた。この農婦が普通の女ではなかつた。野性そのままの女であつた。
お綱は小学校に通ふ頃から春に目覚めて数名の若者を手玉にとつたと言はれるほどの娘。小学校を卒業すると町の工場へ女工に送られたが居堪《いたたま》らず、東京へ逃げて自分勝手に女中奉公した。昔郡役所のあつた町に小金持の老人があつたが、借金のかたとでもいふ
前へ
次へ
全21ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング