禅僧
坂口安吾

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)順《したが》つて

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)春|半《なかば》から

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「虫+原」、第3水準1−91−60]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ヂャラ/\といふ
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 雪国の山奥の寒村に若い禅僧が住んでゐた。身持ちがわるく、村人の評判はいい方ではなかつた。
 禅僧に限らず村の知識階級は概して移住者でありすべて好色のために悪評であつた。医者がさうである。医者も禅僧とほぼ同年輩の三十四五で、隣村の医者の推薦によつて学校の研究室からいきなり山奥の雪国へやつてきたが、ぞろりとした着流しに白足袋といふ風俗で、自動車の迎へがなければ往診に応じないといふ男、その自動車は隣字の小さな温泉場に春|半《なかば》から秋|半《なかば》の半年だけ三四台たむろしてゐる、勿論中産以下の、順《したが》つて村大半の百姓には雇へない。
 農村へ旅行するなら南の方へ行くことだ。北の農家は暗さがあるばかりで、旅行者を慰めるに足る詩趣の方は数へるほどもありはしない。この山奥の農村では年に三人ぐらゐづつ自殺者がある。方法は首吊りと、菱《ひし》の密生した古沼へ飛び込むことの二つである。原因は食へないからといふだけで、尤も時々は失恋自殺もあるのだが、後者の方は都会のそれと同じことで、村人の話題になつても陽気ではある。珍らしく一人の旅人がこの村へきて、散歩にでたら葬式にでつくはした。この葬式は山陰の崩れさうな農家から出発、今や禅寺をさして行進を開始したところだが、先頭が坊主で、次に幟《のぼり》のやうなものをかついだ男、それにつづく七八名で、ヂャランヂャラ/\といふ金鉢のやうなものをすりまはしながら行進するのが寒々とした中にも異様な夢幻へ心を誘ふ風景であつた。こんな山奥でも人は死ぬ、余りに当然なことながら、夢のやうにはかない気がした。きつと年寄りが死んだんでせうね? と旅人は傍らの農夫にたづねてみた。へえ年寄りが首をくくつて死んだのです、え、自殺? そんなことがこの山奥にもあるのですか? へえ年に三四人づつあるやうです。貴方の足もとの、ほらこの沼へとびこんでその年寄りは冷めたくなつて浮いてゐたのです。棒がとどかないので、私達が盥《たらい》に乗りだして引上げたのですが、盥に菱がからまつて私達までなんべん水へ落ちさうになつたか知れません、と言ふのであつた。旅人は一度に白々とした気持を感じた。全てが一家族のやうな小さな村にも路頭に迷つて死をもとめる人がある、都会の自殺には覇気がありむしろ弾力もある生命力が感じられるが、この山奥の自殺者の無力さ加減、絶望なぞと一口に言つても、もと/\言ひたてるほどの望みすらないところへ、それが愈々絶えたとなると一体どういふ澱みきつた空しさだけが残るだらうか、考へただけでも旅人はうんざりして暗くならざるを得なかつた。この山村の自殺は小石を一つつまみあげて古沼の中へ落すことと同じやうな努力も張り合ひもない出来事に見えた。
 医者は多少の財産があるのか、夏場は温泉で遊び冬は橇を走らして遠い町へ遊びにでかけた。夏の山路は九十九折《つづらおり》で夜道は自動車も危険だが、冬は谷が雪でうづまり夜も雪明りで何心配なく橇が谷を走るのだ。そのうちに村の娘を孕まして問題を起した。
 知識階級の移住者には小学校の先生があるが、この人達も評判がわるい。男女教員の風儀だとか吝嗇とか不勤勉といふことが村人の眼にあまるのである。ところがさういふ村人は森の小獣と同じやうに野合にふけつてゐるのである。盆踊りを季節の絶頂にした本能の走るがままの夏期のたわむれ、丈余の雪に青春の足跡をしるしてゐる夜這ひ、村人達の生活から将又《はたまた》思ひ出からそれをとりのぞいたら生々とした何が残らう! 半年村をとざしてしまふ深雪だけでも彼等の勤労の生活は南方の半分になるわけだが、山々を段々に切りひらいて清水を満した水田と暗澹たる気候で米の実りの悪いことは改めて言ふまでもないことである。豊穣といふ感じが、気候や風景に就ても同断であるが、その生活に就ても全く見当らないのである。

 禅僧は同じ村のお綱といふ若い農婦に惚れた。この農婦が普通の女ではなかつた。野性そのままの女であつた。
 お綱は小学校に通ふ頃から春に目覚めて数名の若者を手玉にとつたと言はれるほどの娘。小学校を卒業すると町の工場へ女工に送られたが居堪《いたたま》らず、東京へ逃げて自分勝手に女中奉公した。昔郡役所のあつた町に小金持の老人があつたが、借金のかたとでもいふ
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