わけか、お綱は呼び寄せられてこの老人の妾になつた。その時が十八。五年目に老人が死んだ、妾時代お綱は出入りの男達と相手選ばずの浮気をしたが、老人が死ぬと身体一つでのこ/\村へもどつてきた。身体のほかに持つてゐたのは頭抜けた楽天性と健忘性と野性のままの性慾だつた。村へきても誰はばからず本能の走るがままに生活した。さういふお綱に惚れて、自殺したうぶな男もあつたのである。
 ある時村へ一人の旅人がきた。隣字の温泉へ行くつもりのものが生憎と行暮れて、この字では唯一軒の旅籠《はたご》兼居酒屋の暖簾をくぐつたのである。農家の土間へ牀机《しようぎ》をすえ手製の卓を置いただけの暗い不潔な家で、いはゆる地方でだるまといふ種類に属する一見三十五六、娼妓あがりの淫をすすめる年増女が一人ゐた。こんな疲弊した山村では淫売がむしろ快活な労働にもなるのだらうが、見るからに快活、無邪気、陽気で、健康な女がゐるのである。さういふだるまの一人がこの店にもゐた。
 旅人がこの銘酒屋の暖簾をくぐつて現はれたとき、土間の卓には禅僧がお綱と共に地酒をのんでゐる時であつた。山村のことで旅人をむかへる部屋が年中用意されてゐるわけでもないから、部屋の支度をととのへるあひだ、旅人も卓によつて地酒をのんだ。旅人を見るとお綱の浮気の虫が動いた。
 部屋の支度ができ、旅人は二階へ上つて、だるまを相手に改めて酒をのみはじめた。暫くすると階段をのぼる威勢のいい跫音《あしおと》がとんとんとんと弾んできて、お綱がにや/\笑ひながら旅人の部屋へ現れた。坐らうともしないで、すくすく延びきつた肢体をくねらせながら突立つたままであるが、片手を目の下へもつて行き、のぞき眼鏡のやうな手の恰好をこしらへて人差指でおいでおいでをしたのである。旅人は莫迦々々しさに苦笑せずにゐられなかつた。
「ここへ暫く泊るの?」
「明日から温泉へ泊るのだ」
「明日の晩、今時分ここへおいで」
 野性の持つあの大胆な、キラ/\となまめかしく光る流眄《ながしめ》を送り、お綱はくるりとふりむいた。さうして歩きだしたと思ふと、そんな婆あと遊ぶんぢやないよ、と言ひすて、野禽のやうにけたたましい笑ひ声をたてながら階段を調子をとつて駈け降りて行つた。面喰つた旅人よりも、禅僧の悩みの方が複雑であつたのは言ふまでもあるまい。お綱の奴が急に二階へとんとん登つて行つた意味は一目瞭然であるか
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