の、ほらこの沼へとびこんでその年寄りは冷めたくなつて浮いてゐたのです。棒がとどかないので、私達が盥《たらい》に乗りだして引上げたのですが、盥に菱がからまつて私達までなんべん水へ落ちさうになつたか知れません、と言ふのであつた。旅人は一度に白々とした気持を感じた。全てが一家族のやうな小さな村にも路頭に迷つて死をもとめる人がある、都会の自殺には覇気がありむしろ弾力もある生命力が感じられるが、この山奥の自殺者の無力さ加減、絶望なぞと一口に言つても、もと/\言ひたてるほどの望みすらないところへ、それが愈々絶えたとなると一体どういふ澱みきつた空しさだけが残るだらうか、考へただけでも旅人はうんざりして暗くならざるを得なかつた。この山村の自殺は小石を一つつまみあげて古沼の中へ落すことと同じやうな努力も張り合ひもない出来事に見えた。
 医者は多少の財産があるのか、夏場は温泉で遊び冬は橇を走らして遠い町へ遊びにでかけた。夏の山路は九十九折《つづらおり》で夜道は自動車も危険だが、冬は谷が雪でうづまり夜も雪明りで何心配なく橇が谷を走るのだ。そのうちに村の娘を孕まして問題を起した。
 知識階級の移住者には小学校の先生があるが、この人達も評判がわるい。男女教員の風儀だとか吝嗇とか不勤勉といふことが村人の眼にあまるのである。ところがさういふ村人は森の小獣と同じやうに野合にふけつてゐるのである。盆踊りを季節の絶頂にした本能の走るがままの夏期のたわむれ、丈余の雪に青春の足跡をしるしてゐる夜這ひ、村人達の生活から将又《はたまた》思ひ出からそれをとりのぞいたら生々とした何が残らう! 半年村をとざしてしまふ深雪だけでも彼等の勤労の生活は南方の半分になるわけだが、山々を段々に切りひらいて清水を満した水田と暗澹たる気候で米の実りの悪いことは改めて言ふまでもないことである。豊穣といふ感じが、気候や風景に就ても同断であるが、その生活に就ても全く見当らないのである。

 禅僧は同じ村のお綱といふ若い農婦に惚れた。この農婦が普通の女ではなかつた。野性そのままの女であつた。
 お綱は小学校に通ふ頃から春に目覚めて数名の若者を手玉にとつたと言はれるほどの娘。小学校を卒業すると町の工場へ女工に送られたが居堪《いたたま》らず、東京へ逃げて自分勝手に女中奉公した。昔郡役所のあつた町に小金持の老人があつたが、借金のかたとでもいふ
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