しもこう考えるにきまっているが、これが、どうも、そうらしくない。
 寒吉は自分がこの近所に住居があって、聞くともなくこの噂を耳にしたから、そこは新聞記者のカンというもので、これは裏に何かがあるかも知れないぞとピンときた。
 しかし、彼のように全然無名で地盤も顔もない候補者に、どんな裏がありうるだろうか。他人の票を散らすために立てられる候補者もあるが、他人の票を奪うからには、それだけの顔も力もなければならぬ。三高吉太郎にはそれがない。せいぜい百票もとれれば上出来であろう。
「しかし、人間は理由のないことはやらない。たとえ狂人ですらも」
 これはさる心理学の本に書かれていた文句であるが、まさに寒吉はそれを発止とばかりに思いだしたのである。
「ファッショかな」
 顔に似合わぬキチガイじみた街の国士がいるものだ。それは彼がその演説をぶつまで、隣の人にも気がつかない場合がありうる。発作の時まで隣家の狂人が分らぬように。
 ところが寒吉は折よく社の帰りに、駅前で彼の演説をきくことができた。それはまさに珍奇をきわめたものであった。
「ワタクシが三高吉太郎、三高吉太郎であります。(前後左右に挨拶する)
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