の中に峠がある。山賊の現れさうな深山の径があるのである。
峠を越えてやうやく里に近付いたとき、鬱蒼と木立の繁つた陵《みささぎ》があつた。
宇多天皇中宮藤原胤子陵とあつた。
天皇の御陵と同じやうに、立派で手入れよく保存された中宮の陵は、始めて見る経験であつたから、中宮藤原胤子とはどのやうな御方であつたらうと――考へて、暫く立去りかねる思ひであつた。
愈々里へ一足はいると、謎は忽ち解けたのである。荒廃した大きな寺があり、勧修寺《かんじゆじ》とあつて、この寺は醍醐天皇が御生母藤原胤子のみまかりたまふたのを悲しみ、陵のかたはらに一宇を建立して、朝夕菩提を弔はせたまふたものであるといふ。さういふ建札が立ててあつた。
また足にまかせて竹藪の多い田舎道を暫く歩くと、随心院といふ寺があり、このあたりは小野の里とも言つて、小野小町の住んでゐた地であるといふ。やがて山麓のひろびろとした畑の中に醍醐天皇の御陵があり、さうしてたうとう醍醐寺が僕の前に現れてきた。
平安朝のうちでも醍醐天皇の御時が、諸政最も順調で平和な時であつたといふ。「源氏物語」はこの聖代を摸して作られたものであるといふが、たまた
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