大阪の反逆
坂口安吾

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)翹望《ぎょうぼう》

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(例)悪臭|芬々《ふんぷん》

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(例)※[#「さんずい+(壥−土へん−厂)」、第3水準1−87−25]

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(例)よた/\
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 将棋の升田七段が木村名人に三連勝以来、大阪の反逆といふやうなことが、時々新聞雑誌に現れはじめた。将棋のことは門外漢だが、升田七段の攻撃速度は迅速意外で、従来の定跡が手おくれになつてしまふ(時事新報)のださうで、新手の対策を生みださぬ限り、この攻撃速度に抗することができないだらう、と云ふ。新らたなるものに対するジャーナリズムの過大評価は見なれてゐることだから、私は必ずしもこの評判を鵜のみにはしないが、伝統の否定、将棋の場合では定跡の否定、升田七段その人を別に、漠然たる時代的な翹望《ぎょうぼう》が動きだしてゐるやうな気がする。
 織田作之助の二流文学論や可能性の文学などにも、彼の本質的な文学理論と同時に、この時代的な翹望との関聯が理論を支へる一つの情熱となつてゐるやうに思はれる。
 織田は坂田八段の「銀が泣いてる」に就て述べてゐるが、私は、最初の一手に端歩《はしふ》をついたといふ衒気《げんき》の方が面白い。第一局に負けて、第二局で、又懲りもせず、端歩をついたといふ馬鹿な意地が面白い。
 私はいつか木村名人が双葉山を評して、将棋では序盤に位負けすると最後まで押されて負けてしまふ。名人だなどと云つても序盤で立ちおくれてはそれまでで、立ち上りに位を制することが技術の一つでもあり名人たるの力量でもあるのだから、双葉の如く、敵の声で立上り、敵に立上りの優位を与へるのが横綱たるの貫禄だといふ考へ方はどうかと思ふ、といふことを述べてゐた。
 序盤の優位といふことが分らぬ坂田八段ではなからうけれども、第一手に端歩を突いたといふことは、自信の表れにしても軽率であつたに相違ない。私は木村名人の心構への方が、当然であり、近代的であり、実質的に優位に立つ思想だと思ふから、坂田八段は負けるべき人であつたと確信する。坂田八段の奔放な力将棋には、近代を納得させる合理性が欠けてゐるのだ。それ故、事実に於て、その内容(力量)も貧困であつたと私は思ふ。第一手に端歩をつくなどといふのは馬鹿げたことだ。
 伝統の否定といふものは、実際の内容の優位によつて成立つものだから、コケオドシだけでは意味をなさない。
 然し、そのこととは別に私が面白いと思ふのは、八段ともあらう達人が、端歩をついたといふことの衒気である。
 フランスの文学者など、ずいぶん衒気が横溢してをり、見世物みたいな服装で社交界に乗りこむバルザック先生、屋根裏のボードレール先生でも、シャツだけは毎日垢のつかない純白なものを着るのをひけらかしてゐたといふが、これも一つの衒気であり、現実の低さから魂の位を高める魔術の一つであつたのだらう。
 藤田嗣治はオカッパ頭で先づ人目を惹くことによつてパリ人士の注目をあつめる方策を用ひたといふが、その魂胆によつて芸術が毒されるものでない限りは、かゝる魂胆は軽蔑さるべき理由はない。人間の現身《うつしみ》などはタカの知れたものだ。深刻ぶらうと、茶化さうと、芸術家は芸術自体だけが問題ではないか。誰だつて、無名よりは有名がよからう、金のないより、有る方がよい。尤も、有名になり、金を握つてみて、その馬鹿らしさにウンザリしたといふなら、それもそれで結構だけれども、自ら落伍者で甘んじる、たゞ仕事だけ残せばいゝといふ、その孤独な生活によつて仕事自体が純粋高尚であり得るといふ性質のものではない。
 現世的に俗悪であつても、仕事が不純でなく、傑れたものであれば、それでよろしいので、日本の従来の考へ方の如く、シカメッ面をして、苦吟して、さうしなければ傑作が生れないやうな考へ方の方がバカげてゐるのだ。清貧に甘んじるとか、困苦欠乏にたへ、オカユをすすつて精進するとか、それが傑作を生む条件だつたり、作家と作品を神聖にするものだといふ、浅はかな迷信であり、通俗的な信仰でありすぎる。
 かういふ日本的迷信に対して反逆し得る文化的地盤は、たしかに大阪の市民性に最も豊富にあるやうだ。京都で火の会の講演があつたとき、織田は客席の灯を消させ、壇上の自分にだけスポットライトを当てさせ、蒼白な顔に長髪を額にたらして光の中を歩き廻りながら、二流文学論を一席やつたといふ。
 かういふ織田の衒気を笑ふ人は、芸術に就て本当の心構へのない人だらう。笑はれる織田は一向に軽薄ではなく、笑ふ人の方が軽薄なので、深刻ヅラをしなければ、自分を支へる自信のもてない贋芸術の重みによた/\してゐるだけだ。
 先頃、織田と太宰と平野謙と私との座談会があつたとき、織田が二時間遅刻したので、太宰と私は酒をのんで座談会の始まる前に泥酔するといふ奇妙な座談会であつたが、速記が最後に私のところへ送られてきたので、読んでみると、織田の手の入れ方が変つてゐる。
 だいたい座談会の速記に手を入れるのは、自分の言葉の言ひ足りなかつたところ、意味の不明瞭なところを補足修繕するのが目的なのだが、織田はそのほかに、全然言はなかつた無駄な言葉を書き加へてゐるのである。
 それを書き加へることによつて、自分が利巧に見えるどころか、バカに見えるところがある。ほかの人が引立つて、自分がバカに見える。かと思ふと、ほかの人がバカに見えて自分が引立つやうなところも在るけれども、それが織田の目的ではないので、織田の狙ひは、純一に、読者を面白がらせる、といふところにあるのである。だから、この書き加へは、文学の本質的な理論にふれたものではなく、たゞ世俗的な面白さ、興味、読者が笑ふやうなことばかり、さういふ効果を考へてゐるのである。
 理論は理論でちやんと言つてゐるのだから、その合ひの手に時々読者を笑はせたところで、それによつて理論自体が軽薄になるべきものではないのだから、ちよつと一行加筆して読者をよろこばせることができるなら、加筆して悪からう筈はない。
 織田のこの徹底した戯作者根性は見上げたものだ。永井荷風先生など、自ら戯作者を号してゐるが、凡そかゝる戯作者の真骨頂たる根性はその魂に具つてはをらぬ。※[#「さんずい+(壥−土へん−厂)」、第3水準1−87−25]東綺譚に於ける、他の低さ、俗を笑ひ、自らを高しとする、それが荷風の精神であり、彼は戯作者を衒《てら》ひ、戯作者を冒涜する俗人であり、即ち自ら高しとするところに文学の境地はあり得ない。なぜなら文学は、自分を通して、全人間のものであり、全人間の苦悩なのだから。
 江戸の精神、江戸趣味と称する通人の魂の型は概ね荷風の流義で、俗を笑ひ、古きを尊び懐しんで新しきものを軽薄とし、自分のみを高しとする、新しきものを憎むのはたゞその古きに似ざるが為であつて、物の実質的な内容に就て理解すべく努力し、より高き真実をもとめる根柢の生き方、あこがれが欠けてゐる。これの卑小を省る根柢的な謙虚さが欠けてゐるのだ。わが環境を盲信的に正義と断ずる偏執的な片意地を、その狂信的な頑迷固陋さの故に純粋と見、高貴、非俗なるものと自ら潜思してゐるだけのこと、わが身の程に思ひ至らず、自ら高しとするだけ悪臭|芬々《ふんぷん》たる俗物と申さねばならぬ。
 大阪の市民性にはかゝる江戸的通念に対して本質的にあべこべの気質的地盤がある。たとへば江戸趣味に於ては軽蔑せられる成金趣味が大阪に於てはそれが人の子の当然なる発露として謳歌せられる類ひであつて、人間の気質の俗悪の面が甚だ素直に許容せられてゐる。
 織田が革のジャンパーを着て、額に毛をたらして、人前で腕をまくりあげてヒロポンの注射をする、客席の灯を消して一人スポットライトの中で二流文学を論ずる、これを称して人々はハッタリと称するけれども、かういふことをハッタリの一語で片づけて小さなカラの中に自ら正義深刻めかさうとする日本的生活の在り方、その卑小さが私はむしろ侘びしく、哀れ、悲しむべき俗物的潔癖性であると思ふが如何。
 むしろかゝる生活上の精力的な、発散的な型によつて、芸術自体に於ては逆に沈潜的な結晶を深めうる可能性すらあるではないか。生活力の幅の広さ、発散の大きさ、それは又文学自体のスケールをひろげる基本的なものではないか。
 文学は、より良く生きるためのものであるといふ。如何に生くべきかであるといふ。然し、それは文学に限つたことではなく、哲学も宗教もさうであり、否、すべて人間誰しもが、各々如何に生くべきか、より良き生き方をもとめてやまぬものである故、その人間のものである文学も亦、さうであるにすぎないだけの話である。然し文学は、たゞ単純に思想ではなく、読み物、物語であり、同時に娯楽の性質を帯び、そこに哲学や宗教との根柢的な差異がある。
 思ふに文学の魅力は、思想家がその思想を伝へるために物語の形式をかりてくるのでなしに、物語の形式でしかその思想を述べ得ない資質的な芸人の特技に属するものであらう。
 小説に面白さは不可欠の要件だ。それが小説の狙ひでなく目的ではないけれども、それなくして小説は又在り得ぬもので、文学には、本質的な戯作性が必要不可欠なものであると私は信じてゐる。
 我々文士は諸君にお説教をしてゐるのではない。解説をしてゐるのでもない。たゞ人間の苦悩を語つてゐるだけだ。思想としてでなしに、物語として、節面白く、読者の理知のみではなく、情意も感傷も、読者の人間たる容積の機能に訴へる形式と技術とによつて。文士は常に、人間探求の思想家たる面と、物語の技術によつて訴へる戯作者の面と、二つのものが並立して存するもの、二つの調和がおのづから行はれ、常に二つの不可分の活動により思想を戯作の形に於て正しく表現しうることしか知らないところの、つまりは根柢的な戯作者たることを必要とする。なぜなら、如何に生くべきかといふことは、万人の当然なる態度であるにすぎないから。
 然し単なる読み物の面白さのみでは文学で有り得ないのも当然だ。人性に対する省察の深さ、思想の深さ、それは文学の決定的な本質であるが、それと戯作者たることと、牴触すべき性質のものではないといふ文学の真実の相を直視しなければならぬ。我々の周囲には思想のない読物が多すぎる。読物は文学ではない。ところが、日本では、読物が文学として通用してゐるのだから、私が戯作者といふのを、単なる読物作家と混同したり、時にはそれよりももつと俗な魂を指してゐるのかと疑られたりするやうな始末である。
 文学者が戯作者でなければならぬといふ、その戯作者に特別な意味があるのは、小説家の内部に思想家と戯作者と同時に存して表裏一体をなしてゐるからで、日本文学が下らないのは、この戯作者の自覚が欠けてゐるからだ。戯作者であることが、文学の尊厳を冒涜するものであるが如くに考へる。実は、あべこべだ。彼等の思想性が稀薄であり、真実血肉の思想を自覚してゐないから、戯作者の自覚も有り得ない。戯作者といふ低さの自覚によつて、思想性まで低められ卑しめられ羞《はずかし》められるが如くに考へるのであらう。
 そして志賀直哉の文学態度などが真摯、高貴なものと考へられて疑ることまで忘れられてしまふのだが、あそこには戯作性が欠けてゐるといふ、つまりはロマン的性格の欠如、表向きさう見えることが、実は志賀文学の思想性に本質的な限定が加へられ歪められてゐることでもあるのを見落してはならぬ。
 志賀直哉の態度がマヂメであるといふ。悩んでゐるといふ。かりそめにも思想を遊んでゐないといふ。然し、さういふ態度は思想自体の深浅俗否とかゝはりはない。態度がマジメだつて、いくら当人が悩んでみたつて、下らない思想は下らない。ところが志賀文学では、態度がマヂメであることが、思想の
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